藤田寛之が悔やむ“75ホール目”の一打 シニア世界一逃す「勝負はそこ」

AI要約

藤田寛之がシニアゴルファー世界一の称号を逃し、プレーオフで敗れた。

藤田は最終日に逆転許し、プレーオフでは勝利を逃すも、日本勢最高の単独2位となった。

藤田は20年以上にわたり活躍し続け、悔しみを抱えながらも自らを評価した。

藤田寛之が悔やむ“75ホール目”の一打 シニア世界一逃す「勝負はそこ」

◇シニアメジャー第3戦◇全米シニアオープン 最終日(1日)◇ニューポートCC (ロードアイランド州)◇6954yd(パー70)

55歳の藤田寛之が“シニアゴルファー世界一”の称号をあと一歩のところで逃した。50歳以上の選手による最高峰競技。悪天候でこの日に持ち越していた最終ラウンドの残り8ホールでリードを失い、4ホールに及ぶプレーオフでリチャード・ブランド(イングランド)に敗れた。2013年「全米シニアプロ選手権」で優勝した井戸木鴻樹以来、日本勢2人目のシニアメジャー制覇はお預けになった。

3打のリードを持って前日未消化分のプレーを再開させた藤田は、この日のスタート11番からいきなり2連続ボギーをたたいた。「きょうは少し風が変わった。初めて(の風向き)で戸惑い、自分自身も固いと感じていた。不安要素が多かった」。第2打をグリーン右手前のラフに外した14番のボギーでさらに後退すると、前の組のブランドに逆転を許した。

最終18番のブランドのボギーにより、藤田は「71」で13アンダーのままプレーオフに突入。2ホールの合計スコアで争う延長戦は互いにパーで終えたが、サドンデス形式に入って1ホール目の第3打を藤田は嘆く。「一番悔いが残るとしたら、左からのバンカーショットを寄せ切れなかったところ。そこじゃないですかね、勝負は」。ミドルパットを外し、ともにボギーにして迎えた続く2ホール目(プレーオフ計4ホール目)、相手のパーが確実なところで藤田の6mのパーパットはカップを右にわずかに逸れた。

戦いは5日間76ホールに及んだ。「あのままやっていれば、どうなるか分からなかった」と前日の中断、順延による影響があったことを認める。「一晩過ごすことで、いろんな考えが湧いて、モヤモヤしてくる。だけど仕方ない」。2001年大会を2位タイで終えた青木功を上回る日本勢最高の単独2位を記録しても、悔しさが残った。

1992年のプロ入り後、2013年に43歳で賞金王に輝くなど、レギュラーツアー通算18勝のうち12勝を40代で手にした。21年末に23シーズンにわたって守ってきた賞金シードを失ってからも、国内シニアツアー、レギュラーツアー、下部ツアーと戦う場所を選ばずにプレーする“中年の星”。「全体的にはすごく良かった。でも優勝というところを自分自身も(期待し)、日本からも多くの声を頂いた。日本にトロフィーを持ち帰れないのが残念です」と惜敗を受け止めた。