藤田寛之は日本勢初の全米シニアオープン制覇ならず プレーオフでイングランドの51歳・リチャード・ブランドに敗れる

AI要約

米シニアメジャー第3戦「全米シニアオープン」の第4ラウンドで、藤田寛之が3バーディー、4ボギーのプレーを見せ、51歳のリチャード・ブランドとのプレーオフに突入した。

プレーオフの結果、リチャード・ブランドが勝利し、藤田寛之は2位となった。藤田は活躍の続きから勝利を逃したが、健闘した。

米国男子プロゴルフの歴代日本人優勝者に加えて、注目の大会であり、様々な国から選手が集まる国際舞台として注目を集めた。

藤田寛之は日本勢初の全米シニアオープン制覇ならず プレーオフでイングランドの51歳・リチャード・ブランドに敗れる

◆米国男子プロゴルフ シニアメジャー第3戦<全米シニアオープン 6月27~30日 ニューポートCC(ロードアイランド州) 6954ヤード・パー70>

 悪天候により順延になっていた米シニアメジャー第3戦「全米シニアオープン」の第4ラウンドが終了。

 藤田寛之が3バーディー、4ボギーの「71」でプレー。通算13アンダーで並んだ51歳のリチャード・ブランド(イングランド)とのプレーオフに突入。

 プレーオフはまず10番と18番の合計スコアで競い、同スコアの場合は18番の繰り返しとなる。最初の10番と18番の2ホール目までは両者パー。

 18番の3ホール目でパーパットを外した藤田に対し、ブランドがパーで上がり勝負あり。

 米シニアメジャー優勝となれば、2013年「全米シニアプロ」を制した井戸木鴻樹に次いで日本勢2人目の快挙だったが、もう一歩のところでタイトルを逃した。

 藤田はこの日、後続に3打差をつけ11番から残りの8ホールをプレー。出だしの11番でティーショットを深いブッシュに入れると、このホールをボギーとし、続く12番、14番でもボギーを叩いた。

 3打差の10アンダー3位にリチャード・グリーン(オーストラリア)、9アンダー4位にスティーブ・ストリッカー(米)が続いた。

 藤田は1969年生まれの55歳で出身は福岡県。専修大を経て1992年にプロ入りし、97年に「サントリーオープン」でツアー初優勝。最終戦の「ゴルフ日本シリーズJTカップ」で史上初の3連覇を飾った12年は、年間4勝を挙げて賞金王を獲得した。19年に50歳となってからもレギュラーツアーで活躍し、23年連続で賞金シードを確保。22年「スターツシニアゴルフトーナメント」でシニアツアー初優勝。同年8月「マルハンカップ」でシニア2勝目。23年「日本シニアオープン」でシニアメジャー初優勝。葛城ゴルフ倶楽部所属。

<最終成績>

優勝/-13/リチャード・ブランド

2位/-13/藤田寛之

3位/-10/リチャード・グリーン

4位/-9/スティーブ・ストリッカー

<米メジャー歴代日本人優勝者>

樋口久子 全米女子プロゴルフ選手権(1977年)

井戸木鴻樹 全米プロシニア選手権(2013年)

渋野日向子 全英女子オープン(2019年)

松山英樹 マスターズ(2021年)

笹生優花 全米女子オープン(2021・2024年)