桐生祥秀は10秒26で5位 個人代表入りは絶望的

AI要約

桐生祥秀は男子100メートル決勝で5位に終わり、個人種目での五輪出場が絶望的になった。

リレー代表入りの可能性は残るものの、今季は苦戦気味であり、最も重要な五輪切符を逃す結果となった。

桐生祥秀は長年活躍し、苦難も乗り越えてきた第一人者であり、今回の日本選手権は勝負の場となった。

桐生祥秀は10秒26で5位 個人代表入りは絶望的

 「陸上・日本選手権」(30日、デンカビッグスワンスタジアム)

 パリ五輪切符をかけて男子100メートル決勝が行われ、元日本記録保持者の桐生祥秀(28)=日本生命=は10秒26で5位に終わり、五輪代表への実質的な“最終選考会”で結果を残せず、個人種目での五輪出場が絶望的になった。400メートルリレーの選考条件は満たしているため、リレー代表入りの可能性は残る。

 今季は1月に室内の60メートルを6秒53で走り、当時の日本記録をマーク。ただ、屋外の今季自己ベストは10秒36で、追い風参考を含めても10秒19(追い風2・8メートル)と苦戦気味だった。6月2日の布勢スプリントでは「4~5月までタイムも体調面でもうまくいかず、陸上人生で今年が一番しんどい。でもそんな中で今日、今シーズン初めて(予選、決勝の)2本走れたので、日本選手権は3本走れれば」と苦しい胸の内を明かしていた。

 日本男子短距離界で長年活躍した第一人者だ。16年リオ五輪は100メートルと400メートルリレー出場し、400メートルリレーでは第3走として銀メダルを獲得。17年に日本人初の9秒台となる9秒98の日本新記録(当時)を樹立した。21年東京五輪は個人での出場を逃し、400メートルリレーに出場したが、決勝では1走と2走でバトンミスがあり、3走の桐生までバトンは回ってこなかった。

 活躍の分だけ、苦悩もあった。22年9月には、潰瘍性大腸炎との闘病を自身のYouTubeで告白。13年に高校3年で10秒01を出して大ブレークしたが、日本勢初の9秒台へのプレッシャーから追い込まれ、大学2年で同病気を患った。医者にはストレスが原因と言われたが、16年リオ五輪の400メートルリレーで銀メダルを獲得し、「あれでちょっと救われた」と、症状も悪化しなくなっていた。

 気付けば28歳。日本中を沸かせてきたスプリンターにとって、3度目の五輪出場をかけた、勝負の日本選手権だった。