ドジャース大谷翔平、クレメンテ氏の重量バットに「重っ!」当地の博物館よりレプリカバット贈られた

AI要約

大谷翔平投手がパイレーツのロベルト・クレメンテ氏のバットを受け取る

クレメンテのバットの特徴や大谷との重さの比較について

クレメンテ氏の慈善活動や殿堂入りについての経緯

ドジャース大谷翔平、クレメンテ氏の重量バットに「重っ!」当地の博物館よりレプリカバット贈られた

◆米大リーグ パイレーツ―ドジャース(6日 米ペンシルベニア州ピッツバーグ=PNCパーク) 

 ドジャースの大谷翔平投手が6日(日本時間7日)、殿堂入りで、元パイレーツの英雄、故・ロベルト・クレメンテ氏のバットを寄贈された。パ軍の本拠地PNCパークから約4・5キロに位置する「クレメンテ博物館」が、大谷の名とクレメンテ氏の背番号「21」の刻印が刻まれた、クレメンテのバットのレプリカを用意。メジャー7年目で初めて当地を訪れた大谷に、プレゼントされた。

 この日の試合前、クラブハウスのロッカーでバットを手にした大谷は、持った瞬間、「重っ!」と思わずうなった。その場でバットを構えて素振りを数度行い、笑顔をみせた。

 身長180センチながら、やり投げの選手でもあり、非常に筋力が強かったクレメンテ。愛用したバットは38・3オンス(約1086グラム)、36インチ(91センチ)と現代野球では規格外のサイズ。グリップ・エンドにくびれがない、通称「すりこぎ型」で、素材はアッシュだった。

 この日、大谷に贈られたのは、36・6オンス(1038グラム)とクレメンテのものより少し軽かった。それでも、普段平均的な32オンス(907グラム)、34・5インチ(88センチ)のバットを使っている大谷を驚かせるには、十分な重量感だったようだ。

 前日にド軍の中継クルーが試合後に同博物館をプライベート訪問し、亡きクレメンテ氏の長男、クレメンテ・ジュニア氏が館内を案内。大谷へのギフトを託された。

 クレメンテは1934年、プエルトリコ生まれの外野手。パイレーツで活躍していた1972年にニカラグアで大地震が発生。窮状を鑑みて救援を思い立ち、12月31日発の航空機に自身も乗り込んだが

、最大積載量を超えた物資の影響もあってか、カリブ海へ墜落した。米大リーグ機構はクレメンテの事故死を悼み、1973年1月、野球殿堂候補には通常、引退5年後に資格を得られるが、全米野球協会会員に諮り75%超えでクレメンテの殿堂入りを決めた。慈善活動を行ったメジャーリーガーに贈られる「コミッショナー賞」を「ロベルト・クレメンテ賞」と名称も変更され、今ではメジャーの多くの選手が憧れる賞となった。