記憶にございません(8月24日)

AI要約

国会の証人喚問での流行語「記憶にございません」から始まり、原発事故の株主代表訴訟に関する控訴審口頭弁論までを振り返りながら、時の流れの速さと福島第1原発処理水放出の1周年を記念する記事。

元東京電力役員の謝罪や津波対策に関する質問に対する「記憶にない」との答えに触れつつ、放出された処理水が数十年にわたり漁業に及ぼす影響への懸念を指摘。

同地域の漁業者らの反発や政府の対応、そして「約束は記憶にない」という県民の不安を反映しつつ、記事は福島原発事故の深層を考察。

 「記憶にございません」―。半世紀ほど前、大疑獄を追及する国会の証人喚問で飛び出し、流行語になった。「けむに巻く」の同義と言ったら、うがち過ぎか▼19日にあった原発事故の株主代表訴訟の控訴審口頭弁論。東京電力の元役員として尋問を受けた男性は、本県に勤務経験がある。心境を問われ、「原子力に携わってきて、言葉に表せない被害を与えたことは申し訳ない」と謝罪した。ただ、社内の津波対策をただす質問には、「記憶にない」との答えが目立った。傍聴席は肩すかしを食らったような雰囲気に包まれたが、時間の壁は存在するに違いない▼時の流れの速さを思う。福島第1原発から処理水を海に流す堰が開いたのは、1年前のきょう8月24日だった。心配された本県漁業への目立った風評は起きていないが、楽観は禁物だろう。放出は数十年も続く。たった一つのトラブルが、信頼を揺るがしかねない▼振り返れば、漁業者らの強い反発を押し切っての強行だった。「損害を受けないよう万全の体制を取っていく」と誓った人は間もなく首相の座を降りる。政権が幾代も移ろう中で、「約束は記憶にない」と県民がけむに巻かれることはあるまいか。<2024・8・24>