全日本社会人バドミントン選手権にパリ五輪銅メダル渡辺勇大選手と出場 ACT SAIKYO所属・田口真彩選手 どんな選手?
田口真彩選手は競技バドミントンで活躍する山口県周南市出身の選手であり、その経歴について振り返る。
田口選手は小さい頃はサッカーが好きだったが、姉の影響でバドミントンを始め、その才能を開花させる。
柳井商工高校への進学を機にキャプテンとして活躍し、怪我や困難に直面しながらもチームと共に戦い続ける姿勢が評価される。
山口県周南市を拠点に活動するバドミントンチーム ACT SAIKYOの田口真彩選手
柳井商工高校から全国、そして世界へと戦いの舞台を広げました。
これまでの軌跡をたどります。
田口選手は宮崎県の出身。
小学1年生のとき、姉の影響で競技を始めましたが、実は・・・
田口真彩選手
「小さい頃は、仮面ライダーとか男の子系が好きでサッカーがかっこいいと思ってて、本当はサッカーがやりたかったです」
でも、バドミントンは楽しかったそうです。
田口真彩選手
「とにかく楽しくやっていて(ラケットが)シャトルに当たるのが楽しかったのかなって」
その才能はいきなり開花します。
1年後には全国大会で2位に。
結果が出たことでますます練習に没頭するようになります。
しかし、その後は思うように結果が出ませんでした。
中学は大阪の強豪四天王寺中学に進学。
ここでも成績は伸びませんでした。
田口真彩選手
「どうしようってなったときに環境を変えようかなってなってお母さんと話してそのときに柳井商工高校の試合を見たときにすごいかっこいい先輩たち多いなってそこで柳井中に入りたい、柳井商工でバドミントンをやりたいって気持ちが自分の中にありました」
大阪から山口へ
柳井中学校に転校します。
心機一転、と思ったところでコロナ禍に突入。
中学3年生の全国大会は中止されました。
しかし柳井商工への進学が大きな転機となりました。
1年生でキャプテンに抜擢されると全国高校選抜、インターハイでも学校対抗戦で優勝しました。
田口真彩選手
「(1年生)のころはとにかく先輩たちのために1年間キャプテンや自分のことを頑張って来たんですけど自分の代になってからは自分の代で連覇を途切らせてしまったらどうしようというプレッシャーは一番大きかったですし」
全国大会連覇中のチームは自分たちの代へ。
大きな試練が待っていました。
左膝の半月板断裂・・・
選抜大会前に手術を余儀なくされました。
田口真彩
「なんでけがしてしまったんだろうというのと、チームに申し訳ないって気持ちが大きくて」
競技を続けられないかもしれない。
不安と戦いながら入院生活を過ごしました。
そんなとき、心を動かしたのは病床で読んだ本のある言葉でした。
田口真彩選手
「努力だけじゃスポーツは勝てないし、勝つか勝たないかは運も必要というのを教えてくれた本で」
運をためるためには行動を変えなければいけない。
自身を見つめ直すきっかけになったといいます。
田口真彩選手
「入院生活は正直(バドミントンを)やめてもいいやって思ったりもしたんですけどでもやっぱり選抜の団体戦は出られるってなったのでチームのために頑張りたいって思いましたしあのときは気づけなかったけど今思えばけががあったからここまで成長できたなってすごく思います」
全国高校選抜・個人戦の出場はかないませんでしたが、学校対抗戦では優勝。
そして高校時代最後にして最大の目標の大会、北海道インターハイを迎えます。
学校対抗戦決勝は福島県のふたば未来学園との対戦でした。
大会3連覇がかかる大一番。
第1ダブルスに登場したのは田口選手と2年生で、世界ジュニア優勝の宮崎選手のペア。
しかし、このエースペアがまさかの敗戦を喫します。
このピンチを救ってくれたのはチームメイト。
ほかのメンバーの頑張りもありチーム全員で大会3連覇をつかみました。