日航機墜落事故から39年 群馬・上野村の子どもたちが受け継ぐ想いは

AI要約

日航機墜落事故から39年、上野村の子どもたちは事故を忘れずに想いを受け継いでいる。

事故当時の作文の朗読や救助活動に参加した住民の姿が振り返られ、当時の想いが伝えられている。

現在も事故を知る子どもたちは遺族に支えられ、事故の記憶を大切に育んでいる。

日航機墜落事故から39年 群馬・上野村の子どもたちが受け継ぐ想いは

日航機墜落事故から39年。事故現場の上野村の子どもたちは「この事故を忘れてはいけない」と当時から変わらない想いを受け継いでいます。

「私はいまだにこの上野村に墜落したなんてとても考えられません信じられません」「もう二度とこんな悲しい事故はないだろう」(事故当時の小学生の作文)

事故が起きた翌月の1985年9月、上野小学校でおこなわれた作文の朗読。全校児童が事故への想いをつづりました。

「楽しみにしていた盆踊り、火上げ、成人式が中止になって悲しいです。でも、遺族の人はそれ以上に悲しいと思うので我慢します。」(当時小学生の黒澤美穂さん)

当時、6年生だった黒澤美穂さんです。現在、地元の上野中学校で事務職員を務めています。事故から39年。改めて当時の作文を読んだ黒澤さんは「小学生なりにこの事故は忘れてはいけない、自分がその事故を目の当たりにして二度とこのような事故を起こしてほしくないという想いが6年生の自分のなかにもすごく刻まれたんだなと改めて読み直して感じました」と振り返ります。

日航ジャンボ機が墜落した上野村では事故直後、地元の消防団員およそ670人をはじめ猟友会のメンバーなど多くの住民が対応にあたりました。

「上野村で発生した以上、上野村民は応援できるだけのことは徹底しなければばらない。それが人の道だ。」(当時の上野村・黒澤村長)

黒澤さんの父親は救助活動にあたっていたといいます。

「父親が救助活動にあたって(家に)戻ってきたあとのとても言葉が発せられないような状態。遺族の方を思ってとてもつらかったんだなという事故の悲惨さを目の当たりにした。事故の大変さや上野村の人々懸命に救助活動にあたったり村としてできることを精一杯やったということをみてきた。だからこそ命の大切さを思って突然命を失った方たちの分まで自分たちは頑張っていかなければならない」(黒澤美穂さん)

先月19日、黒澤さんの母校の上野小学校では御巣鷹の尾根のふもとにある「慰霊の園」に飾られるマリーゴールドの引き渡し式がおこなわれました。

「この成長したマリーゴールドをご遺族の方々への思いと一緒に「もう二度と同じような事故は起こらないでほしい」という願いを込め大切に贈ります。」(上野小・児童)

「この事故を忘れてはいけない」黒澤さんの想いは事故を知らない子どもたちにも受け継がれています。

「上野小がマリーゴールドをやってくれたりと上野村の事故に対する姿勢をつらぬいている。みんなでその事故を弔っていくという気持ちを持ち続けてくれるのは村民して嬉しいことだと思う」(黒澤美穂さん)

遺族に「強く生きてほしい」マリーゴールドにはそんな思いが込められています。

「ご遺族の方々にこの花を見てもらって癒される気持ちをもってもらえるのと心強さをもってもらえるような花にしようと思って育てましたマリーゴールドをこれからも引き続き上野村で大切に育てていきたいと思います。」(上野小・児童)

「これまでもこれからも村としては慰霊の務めはしっかりと果たしていく。風化の防止と安全の発信により力をいれていきたい」(上野村・黒澤村長)

子どもたちに事故の記憶をどのように伝えていくか 黒澤さんは当時の空気を知る1人として活動を続けていきます。

「忘れられないし忘れてはいけない。事故のことを思い出さないときはない。当時小学生の自分の目から見た事故のことや上野村の姿、遺族の方への想いを一人でも多くの生徒に伝えたり村民としてできることをしていかなければと思っています」(黒澤美穂さん)

子どもたちが心を込めて育てたマリーゴールドはことしも追悼慰霊式の会場「慰霊の園」を彩ります。