# 日航機墜落事故

「その時、私は何をしていたか」はっきり覚えている特別な日のこと 日航機墜落事故から「玉音放送」まで
2024.08.13

「その時、私は何をしていたか」はっきり覚えている特別な日のこと 日航機墜落事故から「玉音放送」まで

タイトル/「その時、私は何をしていたか」はっきり覚えている特別な日のこと日航機墜落事故から「玉音放送」まであなたにとって、「自分が何をしていたか」をはっきり覚えているのはどんな日ですか?誰にでも、特別な事件が起きた日の記憶があるはずだ。体験した世代で共有される記憶を例に、RKB毎

柏木由紀子、日航機墜落事故から39年…坂本九さん思う「通り過ぎるわけにはいかない日」
2024.08.12

柏木由紀子、日航機墜落事故から39年…坂本九さん思う「通り過ぎるわけにはいかない日」

 柏木由紀子(76)が12日、インスタグラムを更新。「思い出したくない日ですが通り過ぎるわけにはいかない日がやってきました」と、夫の歌手坂本九さんが亡くなった1985年(昭60)の日航機墜落事故から39年がたったこの日、改めて坂本さんへの思いをつづった。 柏木は「ああ、ここにいて

日航機墜落事故から39年 群馬・上野村の子どもたちが受け継ぐ想いは
2024.08.12

日航機墜落事故から39年 群馬・上野村の子どもたちが受け継ぐ想いは

日航機墜落事故から39年。事故現場の上野村の子どもたちは「この事故を忘れてはいけない」と当時から変わらない想いを受け継いでいます。「私はいまだにこの上野村に墜落したなんてとても考えられません信じられません」「もう二度とこんな悲しい事故はないだろう」(事故当時の小学生の作文)

日航機墜落事故39年、遺族・日航・上野村が守る御巣鷹の「尾根」…事故の記憶から生まれた交流
2024.08.12

日航機墜落事故39年、遺族・日航・上野村が守る御巣鷹の「尾根」…事故の記憶から生まれた交流

 乗客乗員520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故から12日で39年。墜落現場となった群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」は、村や日本航空が遺族と一体となって整備を続けている。「空の安全」を訴えるだけでなく、ほかの事故に遭った遺族との交流拠点として、記憶の継承を考える場になっている。(デジタル編

日航機墜落事故から39年 群馬・上野村で「灯篭流し」
2024.08.12

日航機墜落事故から39年 群馬・上野村で「灯篭流し」

 520人が犠牲になった日航機墜落事故から12日で39年です。11日は群馬県上野村で「灯篭流し」が行われ、犠牲者への祈りが捧げられました。 1985年8月12日、羽田空港発、伊丹空港行きの日本航空123便が群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落し、520人が犠牲になりました。

シャープ元副社長は“突然の来客”逸見政孝は…… 墜落「日航ジャンボ機」を直前にキャンセルした人々の証言
2024.08.12

シャープ元副社長は“突然の来客”逸見政孝は…… 墜落「日航ジャンボ機」を直前にキャンセルした人々の証言

 墜落した日航ジャンボ機への搭乗を回避した人々の中には、著名人もいた。シャープ元副社長やアナウンサーの故・逸見政孝の遺族が語る、1985年、夏の記憶。【(1)~(3)の(2)】(「週刊新潮」2015年8月25日号別冊記事の再掲載です) *** 急用でや

「自分を奮い立たせるために」 日航機墜落事故からきょうで39年 遺族らが祈りを込めた灯篭流し 群馬・上野村
2024.08.12

「自分を奮い立たせるために」 日航機墜落事故からきょうで39年 遺族らが祈りを込めた灯篭流し 群馬・上野村

520人が犠牲となった日航機の墜落事故から、きょうで39年です。群馬県上野村ではきのう、遺族らが灯籠を流し、犠牲者への祈りが捧げられました。きのう、墜落現場となった「御巣鷹の尾根」のふもとでは、およそ200個の灯籠が川に流されました。今年で30回目となる灯篭流しには

鎮魂と安全祈り灯籠流し 日航機墜落、12日で39年
2024.08.11

鎮魂と安全祈り灯籠流し 日航機墜落、12日で39年

 乗客乗員520人が犠牲となった日航機墜落事故から12日で39年となるのを前に、遺族らが11日夕、墜落現場となった「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)の麓を流れる神流川に灯籠を流し、犠牲者の鎮魂と空の安全を祈った。  犠牲者へのメッセージを書いた手作りの灯籠約200個が

「平井文夫の言わねばならぬ」は本日最終回です 長い間ご愛読ありがとうございました またどこかでお会いしましょう さようなら
2024.08.09

「平井文夫の言わねばならぬ」は本日最終回です 長い間ご愛読ありがとうございました またどこかでお会いしましょう さようなら

私事ですがフジテレビを8月末に退社することになりました。このコラムは本日最終回です。22歳で大学を卒業してから43年間、長いフジテレビ記者生活でした。最後なので少しだけ振り返ってみます。1985年8月、26歳。初めて大きな取材をしたのは群馬県・御巣鷹山の日航機墜落事故だった。乗客

日航機事故の遺族、自作絵本朗読 悲しみから立ち直る家族の姿
2024.07.06

日航機事故の遺族、自作絵本朗読 悲しみから立ち直る家族の姿

 1985年の日航機墜落事故で夫を亡くした大阪府箕面市の谷口真知子さん(76)が6日、事故現場の群馬県上野村近隣にある同県藤岡市で、事故の悲しみから立ち直る家族の姿を描いた自作絵本の朗読会を開いた。「元に戻ることはできないが、前を向くことはできる」と話した。8月12日で事故から39年となる。<

<森と海からの手紙>日航機事故39年 孫、息子夫婦と慰霊登山 群馬・御巣鷹の尾根
2024.05.19

<森と海からの手紙>日航機事故39年 孫、息子夫婦と慰霊登山 群馬・御巣鷹の尾根