女子挺身隊「殉難おとめの像」79回目の慰霊の集い

AI要約

1942年8月7日に愛知県の軍需工場が空爆され、52人の女性が犠牲となった。

元隊員や遺族たちが殉難者を悼み、慰霊の集いが行われた。

99歳の元隊員・西村八重子さんが過去を振り返り、戦争の悲惨さを語った。

女子挺身隊「殉難おとめの像」79回目の慰霊の集い

79年前の8月7日、愛知県の軍需工場を爆撃が襲い県内出身の女性52人が命を落としました。

金沢では7日、生き残った元隊員や遺族らが集まり犠牲者を悼みました。

元隊員・西村八重子さん

「会いに来たよ~。まだまだ皆さんのところ行かんでごめんね」

太平洋戦争末期だった79年前の8月7日、愛知県の豊川海軍工廠を大規模な空爆が襲いおよそ2500人が死亡。

このうち、女子挺身隊として動員され兵器の増産を強いられた石川県出身の52人が命を落としています。

■今年、元隊員で参加したのは、西村さん1人

元隊員の西村八重子さん99歳。

今年も祈りを捧げようと50段あまりある階段をのぼり、慰霊のため建てられた「殉難おとめの像」を訪れました。

西村八重子さん

「はあ…やっと登れた」戦後間もない頃は200人以上の戦争経験者が参加したという慰霊の集い。

しかし、今年この場所を訪れた元隊員は西村さんただ一人です。

西村八重子さん

「その日の爆弾の音がいつもよりも耳つんざくような音で来たんです。こうして正座してうつぶせして耳を塞いでいました、横にいた人はみんな吹き飛んで影も形もない。焼け死んじゃって遺骨もないくらい焼けました」

戦争を生き抜いた元隊員の高齢化が進み、凄惨な過去を伝えることが、大きな課題となっています。