「被害者切り捨てばかり…」思いぶつけた懇談会の日、マイクはさえぎられた 国の制度で苦しみ続く「水俣病と認められない人」の声

AI要約

環境省が水俣病患者との懇談会で問題が起き、再懇談が行われることになった。

水俣病の認定基準が厳しく、申請者の多くが認定されていない状況が続いている。

佐藤英樹さんの水俣病認定申請が4度却下された経緯と、認定基準の変遷が示されている。

「被害者切り捨てばかり…」思いぶつけた懇談会の日、マイクはさえぎられた 国の制度で苦しみ続く「水俣病と認められない人」の声

今年(2024年)5月1日に環境省が水俣病患者や被害者たちとの懇談会でマイクの音をオフにした問題で、きょうから3日間(7月8日・10日・11日)の日程で伊藤信太郎(いとう しんたろう)環境大臣との再懇談が行われます。

水俣病を巡っては、これまで熊本・鹿児島合わせてのべ2万人以上が「水俣病と認めてほしい」と申請していますが、このうち患者と認められているのは1割程度の約2300人。高いハードルの原因となっているのが国の判断基準です。

司法から幾度となく指摘を受けてなお、国が判断基準が変えないのはなぜなのでしょうか。

■幼い頃から症状が…4度の認定申請はすべて「却下」

今年5月15日、裁判で水俣病認定を求めて国の判断基準と戦っている原告の1人、佐藤英樹(さとう ひでき)さんの姿が、福岡高等裁判所にありました。

佐藤英樹さん「我々はやっぱり環境省や国に対してきちんと物を申すということが大事じゃないかと思いますので、我々はこれからも精一杯戦っていきます」

熊本県水俣市で生まれ育った佐藤さん。幼い頃から日常的に魚介類を食べ、「感覚障害など水俣病の症状が出ている」と訴えてきましたが、2022年3月、熊本地裁は訴えを退けました。

佐藤さんは、子どもの頃から手足のしびれや頭痛の症状がありました。

佐藤英樹さん「手のしびれとかは小学校入ってから自分で認識はあったけど、症状に慣れてしまっているから、それが水俣病と思っていない」

自分が水俣病かもしれないと気付いたのは、30歳を過ぎたころでした。

佐藤英樹さん「私と年齢が同じくらいの人と比べて、少し違うなと思って検査してもらったら、水俣病にり患・症状があると言われて」 

一緒に暮らしていた佐藤さんの両親と祖母は水俣病と認定されました。佐藤さんもこれまで4度水俣病認定の申請をしましたが、いずれも「認定基準を満たしていない」として棄却されています。

その「認定基準」とは。

■申請却下が増えた『52年判断条件』とは

水俣病の認定基準は、1977年(昭和52年)に環境庁が出した『52年判断条件』と呼ばれるものです。当初は一つの症状でも認定されていましたが、感覚障害や視野狭窄(きょうさく)など「複数の症状」があることが条件となり、それまでより厳しくなりました。