本多秀賢さんが死去 飯田下伊那の観光振興にも尽力【長野県】

AI要約

長野県飯田下伊那地域の元善光寺前住職の本多秀賢さんが83歳で他界。地元では悲しみが広がっている。

本多秀賢さんは善光寺の住職を務め、観光振興に貢献。親しみやすい姿勢で地域の人々や参拝者から慕われていた。

元善光寺に参拝を呼び掛けるキャッチフレーズや全国善光寺会の創設など、地域活性化に貢献した。

本多秀賢さんが死去  飯田下伊那の観光振興にも尽力【長野県】

 長野県飯田下伊那地域の観光振興に貢献した元善光寺前住職の本多秀賢さんが25日、83歳で他界し、地元に悲しみが広がっている。

 本多さんは1941(昭和16)年に座光如来寺(元善光寺)の本多賢胤住職、みよ志さんの4男として生まれ、大学、比叡山での修行、市内の養護施設勤務を経て73(同48)年に元善光寺副住職、91(平成3)年から住職となり、飯田観光協会の会長も務めた。

 アイデアマンとして知られ「善光寺だけでは片参り」のキャッチフレーズを生かして元善光寺に参拝を呼び掛けたほか、「全国善光寺会」の創設も発案した。

 長男の本多秀道住職(50)は、旅行会社への売り込みを通じて参拝者を10倍近くまで増やした功績に触れ「面白おかしく法話をするなど参拝者に楽しんでもらおうとする姿勢が印象に残っている。思いを継いで少しでも先代に近づけるように私も頑張っていきたい」と話した。

 渡辺進総代長(80)は「子どもの頃からの知り合いでとても残念」とこぼし「とてもユーモアのある人で檀家(だんか)や参拝者から慕われていた。節分の準備の手伝いに行ったときに、福枡(ふくます)に真剣な表情で字を書き入れている姿をよく覚えている」と振り返った。