岡山県PTA連合会「解散」の必然。12年前、倉敷市はなぜ退会したのか?【独自取材】

AI要約

岡山県PTA連合会の解散に至った経緯や倉敷市PTA連合会の退会理由について述べられている。

倉敷市PTA連合会が県Pを退会した理由は、会の運営に対する不信感が主な要因とされている。

岡山県Pでは会長の入れ替わりや改善が試みられたが、時すでに遅しとの結論が出されている。

岡山県PTA連合会「解散」の必然。12年前、倉敷市はなぜ退会したのか?【独自取材】

2024年9月はじめ、岡山県PTA連合会(以下、岡山県P)が今年度末で解散すると公表し、大きなニュースになりました。筆者もこの件について発信してきましたが、おそらくまだ「釈然としない」という人もいるのではないでしょうか。

2019年に退会した玉野市Pの当時の会長や、現在の岡山県P会長に取材したところ、会員団体(郡や市のPTA連合会)がどんどん減っていくなか、大会の参加や開催といった負担が重くなり、退会や解散に追い込まれていった様子がうかがえました。しかし、「そもそもなぜ、そんなに会員団体が減っていったのか」というところはよく分かりません。

岡山県Pでは2009年、政令市となったことを理由に岡山市が退会し、2012年度末には2番目に大きな自治体である倉敷市も抜けています。近年は、政令市は県を抜けて日本PTA全国協議会(以下、日P)に直接加入するのが一般的なので、岡山市の退会は一見自然ですが、なぜ倉敷市まで退会したのでしょうか。

県Pを抜けた当時の倉敷市PTA連合会(以下、倉敷市P)会長・中村勇さん(現在は相談役)に連絡がついたため、どんな背景があったのか聞かせてもらいました。

中村さんが倉敷市Pの会長になったのは、2011年。岡山市は前々年度(2009年)に県Pを抜けており、このとき会員団体は全部で20ほどでした。なお、岡山市は政令市を抜けたのみで、その後現在に至るまで日Pには1度も入っていません。

2011年当時、倉敷市もすでに退会に向かいはじめていました。数年前から岡山県Pの運営に不満を持っており、改善を求めてきたのですが、なかなか変化が見られなかったからです。

以前の役員から引き継ぎで聞いた話では、県Pの会計に不明な点があり、「何に使ったお金か」「詳細な内容や数字を教えてほしい」など説明を求めても、「総会資料に書いてある通り」などといった誠意のない回答ばかりで、細かい説明がなかったそう。そのような経緯から、県Pと倉敷市Pの関係はすこぶる悪化していたのです。

中村さんはできるだけ客観的な情報を得ようと、岡山県や岡山市の教育委員会、岡山市Pの事務局などにも話を聞いてみましたが、「これはやはり、ちょっと県Pの分が悪い」という印象を受けたと言います。

当時、県Pの集まりはいつも「通りいっぺんの説明をしたあとは、退会した岡山市や、退会しようとする倉敷市への非難ばかりだった」と中村さんは振り返ります。なお県Pではこの頃、長く務める事務局長が、全てのことを取り仕切っていたようです。

結局、倉敷市は2012年度末に県Pを退会(都窪郡も同時退会)。この時点でもう、県Pに所属する郡・市の児童・生徒数は、県全体の3割を切っていたということです(約27%)。

「倉敷が県Pを退会した大元の理由は、『会の運営への不信感』ですね。何しろ情報を明かさないので、分からないことが多かった。会の運営が事務局任せで、チェックするところが何もない。だから、やりたい放題になっていた。そこが1番の原因かな、と思います」(中村さん)

他にも驚くような話はたくさんあったのですが、確認がとれなかった部分もあり、今回記事に書くのは控えておきます。

念のため添えておくと、その後岡山県Pでは会長が何度か入れ替わり、各種見直し・改善も進められたようですが、時すでに遅し、ということだったのかもしれません。