認知症の人が「気難しい」のは、実は介護者のせい!?行動からわかった、本人が本当に求めていること
介護者が認知症のお年寄りとの関係で「すれ違い」が起こる理由と、人間関係を築く重要性について述べられています。
認知症のお年寄りが「頼れる人」を求めていることや、介護者がその信頼を築くためには周辺症状への対応が重要であることが強調されています。
この関係性を築くことが、認知症ケアの土台であり、介護者が信頼される存在になるための鍵となると説かれています。
お年寄りのことが気がかりで関わろうとしても、嫌がられたり怒られたり……。介護者はなぜそんな目に遭うことがあるのだろう? 原因は、認知症のせいで「すれ違い」が起こっているからだった。
問題を解決するカギは「人間関係」にある。現在はデイサービス代表として活躍中の著者が、グループホーム「みのり」に勤めていた頃の経験をもとに綴った『認知症の人のイライラが消える接し方』(植賀寿夫著)より一部抜粋して、介護の知恵を紹介する。
『認知症の人のイライラが消える接し方』連載第13回
『「唾を吐く」「大声で暴言」「喧嘩を売る」...それでも「迷惑入居者」にひたすら付き合い続けた職員との関係に起きた「衝撃の変化」』より続く
20代のとき働いていた施設では、こんなことがありました。
自分で服のボタンを留められるおばあちゃん。でも決まって職員に、「ボタン留めて」と言う――。
職員は、自分でできることを知ってます。だから声を聞きつけても、
〈自分でできるでしょ!〉
と考えてとりあわない。
けれど僕は、そうはしませんでした。おばあちゃんに近づきます。おばあちゃんは自分でボタンを留めます。そして「兄ちゃん、ありがとね」と感謝してくれる。
見ているほかの職員は、僕が留めていると誤解して、
「また植さんが、何でもやってあげちゃって……」
とブツブツ小言。
申し訳ないですが、こんなとき僕は、
〈わかってないな……〉
と思っちゃいます。おばあちゃんはボタンを留めてほしいわけじゃない。本当は、人を求めているんです。
僕たちと一緒で、頼れる人を求めている――。
でも、誰でもいいわけじゃないんです。
僕は講演会で参加者に「認知症になったら、誰を頼りたいですか?」と尋ねています。
「バイト先の店長」には介護してほしいのに、「介護職」ではイヤなのは、なぜか。
その違いは、「頼れる人かどうか」ということなんだと思います。
こう考えてみましょう。
用があるので外に出ようとすると、「ダメです。出ないでください」と制止される。
外を歩いていると「早く戻りましょう」と急かされる。
――知らない人からこう言われて、あなたは聞き入れますか?
ゼッタイ、イヤですよね。それはなぜか。
「よく知らない」ということは、「信用できるかどうかわからない」ということだからです。誰だって、信用できない人には頼りたくありません。
認知症の人と介護者の関係も、同じことです。認知症の人から、
〈この人は信じられる・頼れる〉
と思ってもらえないと、介護者は介助どころか、話すら聞いてもらえません。でもそれは、関係ということを考えれば、ある意味当たり前のことでしょう。
「気難しい」「介護拒否」
安易にそんなレッテルを貼るのは、実はかなり失礼なことじゃないかと思います。逆に、お年寄りは「頼れる人」の言うことには聞く耳を持ってくれます。
たとえば、我が子が「やめてほしい」と言っても怒るお年寄りはたくさんいます。でも、なんだかんだで最終的には子どもの意見を受け入れることがありますよね?
それは、自分の子どもを信用している・頼っている人が多いからです。
「頼れる」関係を日々つくらないと、僕らは認知症ケアの土俵にすら立てない。自分は、お年寄りにとって信頼に足る人なのか。
自分は、お年寄りにとって頼れる人なのか。そこが重要だと僕は考えています。
では、どうすれば介護者は、お年寄りにとって「頼れる人」になれるんでしょう?
周辺症状への対応がカギになります。
なぜなら周辺症状こそが、人間関係を妨げる原因だからです。
『「ベテラン介護職が教える認知症の「要注意」ワード…話のなかに「人」が出てきたら妄想が始まっているかも』へ続く