13年間、祖母を介護した「ヤングケアラー」を待つ過酷な運命…母は倒れ、仕事が1年も続かない生活で発覚した「生きづらさ」の正体

AI要約

祖母の認知症介護で13年間苦労したヤングケアラーの功さん。祖母を施設へ預け介護から解放された矢先に、母親が大腸がんと診断される不幸が起こる。

父親の支援に期待していたが、働いて母親の世話もしなければならないと言われ、自ら就職して家計負担を軽減するが、職場で問題に直面する。

功さんは自分の生活と母親の世話のバランスを模索しながら、新しい生活に慣れようとしている。

13年間、祖母を介護した「ヤングケアラー」を待つ過酷な運命…母は倒れ、仕事が1年も続かない生活で発覚した「生きづらさ」の正体

都道府県や市町村が指定した無料相談所で、幅広い障がいの相談や必要なら障がい福祉サービスにつなぐお手伝いをするのが「相談支援事業所」。筆者が勤務する「大阪市旭区相談支援事業所Kaveri」に届いた問題の事例を、前編記事〈小学生から「認知症の祖母」を介護し、ついには高校中退…13年もの過酷な「ヤングケアラー」生活が続いた「悲しい事情」〉でご紹介しました。

本稿でも引き続き、認知症の祖母を介護するため、小学生から13年間「ヤングケアラー」生活を続けた、吉本功さん(仮名=以下同、40代)のエピソードをつづります。祖母を施設に預けることで介護生活に終りが見えた功さんでしたが、ご家族にまたも異変が……。さらには功さん自身もある問題を抱えていることが発覚。最後までご覧いただければ幸いです。

母親は病弱で元来、風邪や心身の不調だったのですが、それ以上に長らく便秘に悩まされました。

「母親は人よりやせており食欲は少なめ、それが原因でか、あまりにもお腹が痛いというので一度病院で検査したほうがいいよと提案しました」(功さん)

功さんは、半ば強制的に母親を病院に連れて行きました。検査結果は「大腸がん」で入院生活を余儀なくされました。

母親は、手術やリハビリを経て数か月間で回復したとはいえ、先述したように体があまり強くなく、功さんは単身赴任中の父親に相談しました。

「お母さん、持病があるし体の調子がいまいちで働けへんねん。お父さん、もう少し生活費出してくれへん?」(功さん)

しかし父親は、「そんなん知らんわ。俺の生活で精一杯やわ。お前(功さん)が働いてお母さんの世話をしたらええやん」とまさかの一言……。

父親があてにならないと悟った功さんは、「自分の生活のためと、少しでも母親を助けたい」一心で、ハローワークで求人を探し地元の中小企業の事務員に就職しました。

「これでやっと自身の仕事のキャリア形成ができ、家計を少しでも助けられる」

希望に満ちて仕事をはじめた功さんでしたが、早速、職場で仕事や対人関係に支障が出てしまいました……。