欠陥品の命なんかない…複雑性PTSD患者が「親からの虐待」を認めて起こった「心境の変化」

AI要約

複雑性PTSDからの回復のプロセスと、インナーチャイルドワークによる自己癒しの重要性について

過去の虐待体験と向き合う中で、自責思考や心の分裂を乗り越える過程が描かれる

自己受容と真実と向き合うことで、混乱からの解放と成長が描かれる

欠陥品の命なんかない…複雑性PTSD患者が「親からの虐待」を認めて起こった「心境の変化」

持続的な虐待やDVなどのトラウマ体験を機に発症することがある「複雑性PTSD」は、一生治らないのでは…と、当事者を絶望させることもあるものだ。だが、私は誰しもの心にいると言われている、“子どもの自分”(インナーチャイルド)を癒す「インナーチャイルドワーク」を続ける中で染み付いていた自責思考が変わり、見える世界がガラッと変わった。

死にたい気持ちと死ぬ勇気がない悔しさを抱えながらメンタルクリニックに駆け込んだ当初、私の心は分裂していた。今、存在している大人の自分と“あの頃”に置き去りにしてきた私の間には深い溝があり、心がバラバラだったのだ。

私の心には5人のインナーチャイルドがいたのだが、中でも最後まで向き合うことが難しかったのは、「愛ちゃん」と名付けたあの頃の自分だった。愛ちゃんと呼ばれるパーツが日常の中で出てくると、途端に寂しく、人恋しくなる。

母親に日記を盗み見られ、ゴミ箱をチェックされていた時期の記憶や当時の感情が蘇ってきて、誰かに「○○したほうがいいんじゃない?」とアドバイスされただけで、こいつも私を監視してコントロールしようとするんだ!と、激しい怒りがこみ上げてくる。

カウンセリング中に見つけた他4人のインナーチャイルドと和解できてからも、愛ちゃんだけは、接し方が分からなかった。どんな言葉をかけてみても、愛ちゃんは暗くて深い穴の中でうずくまり、「私はそこに行けない」と、大人の私や他のインナーチャイルドを見上げるのだ。

心が愛ちゃんのモードになると、カウンセリングを通して得た小さな自己肯定感もなくなる。また「私なんて…」という自責思考になる時間が苦しかった。

愛ちゃんとの向き合い方が変わったのは、突然心に降ってきたひとつの疑問と向き合ってからだ。ある日、脈絡もなく思った。私が親からされてきたことは、虐待なのだろうか…と。

毎日、酒を飲んでは暴言を吐き、私が何か口にするたびに「そんなこと言ったら笑われるぞ」と歪んだ教育をした父。私の話は聞かないくせに、日記やプリクラ帳、ゴミ箱を漁り、娘を監視する過干渉の母。ふたりがしてきたことは、客観的に見れば「虐待」だ。

しかし、それらを “自分事”として受け止めると、虐待だったのかと首をかしげてしまう。暴力や性被害など、自分より苦しい虐待を受けている人はたくさんいる。我が家はそこまでではなかった。家族同士が上手く噛み合わなかっただけかもしれない。そう思う気持ちと、「虐待だった」と主張する心が反発し合い、頭が混乱した。

それは昔、両親が喧嘩する声を聞きながら考えていたことで、悩むと悲しくなるからなかったことにしていた。だが、当時の私はその記憶を思い出せない。なぜか心にこびりついたその疑問が妙に気になっただけだった。

翌月、愛ちゃんのモードになって行ったインナーチャイルドワーク中、気づくとカウンセラーにその疑問を話していた。伝えた時、涙がこぼれた。「虐待だと、本当は知っている。でも、それを認めたら、あまりにも自分が可哀想で、これまでが意味のないものだった気がして…」という、予期せぬ自分の本心が心に刺さって。

すると、不思議なことにその疑問を口にした後、インナーチャイルドワーク中に目を閉じながら見ていた世界に変化が起きた。