日本人初の世界的コレクション出演…矢神サラが語る“トランスジェンダーモデル”の需要と可能性 性における「差別」と「区別」への持論も

AI要約

矢神サラは日本初のトランスジェンダーモデルとして、世界的なコレクションに出演し、2025年春夏パリコレクションにも出演が決定している。

彼女は幼少期からアイドルを夢見ており、モデル業界への興味を持ち、スカウトされてモデルとしての活動を始めた。

矢神サラはトランスジェンダーでありながら、自身のコンプレックスに向き合い、海外のファッション業界で成功を収めている。

日本人初の世界的コレクション出演…矢神サラが語る“トランスジェンダーモデル”の需要と可能性 性における「差別」と「区別」への持論も

 日本人で初めてトランスジェンダーのモデルとして世界的コレクション『LAファッション・ウィーク』に出演したモデルで実業家の矢神サラは、『2025年春夏パリコレクション』への出演も決まっている。10代から整形を繰り返し、性別適合手術を受けるなど、自身のコンプレックスと真正面から向き合いながら、差別や偏見をものともせず、目指す目標に向かって生きてきた。海外のファッション業界における高身長を活かした日本人のトランスジェンダーの需要と可能性とは? そして“トランスジェンダーモデル”とメディアでひと括りにされる中、「差別」と「区別」について持論を語った。

◆子どもの頃の夢はアイドル スカウトされてモデルの世界へ

――モデルを目指したきっかけを教えてください。

【矢神サラ】 約1年前に、いま所属しているエリート・モデル・ジャパンの社長とイベントで知り合い、スカウトされました。社長が、「モデルの業界で重視されている“細いだけではない体付き”のスタイルであること。そして、トランスジェンダーであるサラちゃんにしかわからない経験をしてきたこともプラスの武器になるから、モデルとして世界の舞台を一緒に目指そう」と言ってくれました。新しいことに挑戦するのを人生のポリシーにしているので、せっかくお話をいただいたのでやってみようと思ったのがきっかけです。

――それ以前から、モデル業界や芸能界には興味があったのでしょうか?

【矢神サラ】 子どもの頃はアイドルになることが夢でした。当時、K-POPグループが活躍していて、少女時代に憧れていました。それでアイドルを目指して上京しました。時を経て目指していたところに近い世界であるモデルのお仕事に声をかけてもらえてすごくうれしかったです。本格的にモデルのお仕事をする前も、ウエディングショーのモデルやタレントのような仕事をしたり、取材を受けたりはしていました。

――矢神さんはもともとスタイルが良かったのでしょうか?

【矢神サラ】 いまより20キロくらい太っていました。体重が75キロあったので、ダイエットしました。でも胃は男性のままなので、空腹になるとたくさん食べてしまって、何もしないと30代の普通の中年男性の体になっちゃうんです(笑)。それじゃダメだって20代前半に気づいてからは、スタイル維持をするために、ジムに通って、体のラインがキレイに見える筋肉をつけるトレーニングをしています。

――男性らしい骨格が残っているトランスジェンダーの方もいますが、矢神さんは女性特有の丸みのあるボディラインで、同性もうらやむ美しいスタイルです。

【矢神サラ】 諸説ありますが、10代までに一次成長、二次成長があり、その後、20歳を超えてからも成長し、どんどん体が男性化していくと聞きます。それを阻止するのが女性ホルモンの働きなので、ホルモン治療を早くからやっていたことが、大きなポイントだったと思います。睾丸を早めに切除することも、いまの体につながっています。