「虐待」を受けたトラウマが「発達障害」を引き起こすことも…世代間連鎖する「子ども虐待」の恐ろしい現実

AI要約

トラウマは心と身体に強い影響を与える傷であり、自然治癒することはなく、一生持続する毒性を持つ。

報告書では、複雑性PTSDを含む2種類のトラウマに焦点を当てており、その治療法について詳しく解説している。

治療法として遷延暴露法やEMDRが挙げられ、特に複雑性PTSDの治療には工夫が必要であることが述べられている。

「虐待」を受けたトラウマが「発達障害」を引き起こすことも…世代間連鎖する「子ども虐待」の恐ろしい現実

あなたは本当にトラウマのことを知っていますか?

自然に治癒することはなく、一生強い「毒性」を放ち、心身を蝕み続けるトラウマ。

講談社現代新書の新刊・杉山登志郎『トラウマ 「こころの傷」をどう癒すか』では、発達障害と複雑性PTSDの第一人者である著者が、「心の複雑骨折」をトラウマを癒やす、安全かつ高い治療効果を持つ画期的な治療法を解説します。

※本記事は杉山登志郎『トラウマ 「こころの傷」をどう癒すか』より抜粋・編集したものです。

『トラウマ 「こころの傷」をどう癒すか』の「はじめに」でも触れましたが、改めてトラウマについて、ミニマムな定義をしておきます。先に述べたように、トラウマという言葉が比較的広い意味で日常的に使われているからです。

トラウマ(trauma)はギリシャ語の語源では単に傷のことで、医学でももともとは身体的な傷のことを表していましたが、こころの傷(心的外傷)のことも同じトラウマという用語で表すようになりました。それは、からだの傷もこころの傷もともに、からだとこころの相互に影響を与えるからです。本書でトラウマと言うときには、「心的外傷」をさします。そして後に詳しく述べますが、トラウマには実は二つの異なった形があります。一つは1回だけの大変に怖い体験です。これを専門用語で単回性トラウマと呼びます。

もうひとつが長期間にわたり大変に怖い体験が繰り返し起きた場合です。この本でもっぱら扱うのは後者のほうです。こちらの診断基準の確定がごくごく最近になされたことは先に述べました。そこで起きてくる様々な症状に対し、トラウマ処理という特別な心理療法が必要になってきます。

次節で筆者がトラウマ処理という特殊な心理療法に踏み込むきっかけになった症例を紹介します。

受診してきたのは、7歳の女児とその弟でした。子どもたちを産んだ母親は不安定な家庭に育ち、母親の父(子どもたちの祖父)から虐待を受け、養護施設で暮らしたこともあるといいます。この母親に先に述べた「虐待の世代間連鎖」が起きました。母親は子どもたちに暴力をふるうことも多く、姉は幼児期から逆上した母親に首を絞められたことが何度もあったようです。子どもへの虐待をめぐって両親は対立を繰り返し、最終的に離婚しました。

しばらく父子で暮らした後、父親は再婚しました。新しく二人の子どもの母親となった義母も、また元被虐待児でした。義母は、酒乱の父(子どもたちの義理の祖父)から家族へのDV(ドメスティック・バイオレンス)が繰り返される家庭で育ち、中学生ごろから家出を何度も繰り返しました。高校を出て自立した後に結婚しましたが、最初の夫は父とそっくりで酒が入ると暴力的になる人でした。義母は最初の夫に見切りをつけ離婚し、その後、きょうだいの父親と出会い再婚したのです。すると今度は義母から幼いきょうだいへの激しい虐待が生じるようになりました。この時点で受診になったのです。筆者は直ちに親子併行治療を開始しました。

筆者はユング派の高名な分析家シュピーゲルマン氏から教育分析を受けたという経歴があり、重症の症例に関しては大人、子ども問わず、夢や絵など、イメージを用いた心理療法を行ってきました。義母にも、夢を用いた治療を行いました。象徴的な夢が毎回語られ、義母の抑うつはほどなく軽快しましたが、子どもへの虐待は止まりませんでした。

そのうち次のような現象が起きているのに筆者は気付きました。義母の夢の中にもとの家族が現れ、現在の家族にそれが重なります。それを取り上げる中で、筆者としては治療が深まったと感じられます。ところが次の回に確認すると、前回のセッションの記憶が飛んでいるのです。いったい何が起きているのでしょう。心理療法の中で深い介入が行われた時、義母の側に強烈なフラッシュバックが生じ、治療の記憶を吹き飛ばしているのです。この状況が繰り返され、治療は悪夢のような堂々めぐりを呈することになりました。結局、父親と義母は双方とも2回目の離婚をし、義母への治療はそれに伴って中断になりました。きょうだいはその後も長い時間をかけた治療を行い、二人ともほぼ完治に至ることができました。

この義母への治療の経験は、筆者には深い衝撃となりました。治療は進んだのに改善に至らなかったからです。長い長い時間をかければそれなりに進展が得られるとしても、その間に子どもへの虐待は続けられることになります。重いトラウマを核に抱えていると、深い介入はフラッシュバックを引き起こし、そのために堂々めぐりが起きてしまうのです。フロイトが『快感原則の彼岸』において反復強迫と述べていたのはこの現象を指しているということに思い当たりました。つまり、トラウマそのものへの治療が必要であるのです。

その当時、トラウマの治療への有効性に関するエビデンスを持つ治療法は、認知行動療法(CBT)による遷延暴露法(Foa et al., 2007 巻末参考文献参照)とEMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing:眼球運動による脱感作と再処理法 Shapiro,2001) のみでした。

遷延暴露法とは、トラウマを語らせ続けて、慣れを生じさせるという治療法です。患者のトラウマになっている出来事をできるだけ詳しく語らせ、それをテープに録音します。そしてこのテープを毎日何回も反復して聞くのです。何度も何度も聞く(暴露を受ける)うちに、その衝撃が消え、平静にトラウマを振り返ることができるようになってきます。

もうひとつのEMDRは、トラウマの記憶を想起しながら左右交互に眼球を動かすのを続けていくと、トラウマ記憶との間に心理的な距離を持てるようになることが明らかになり、この作用を利用して作られたトラウマ処理の技法です。トラウマを想起しながら眼球を25回から30回ほど左右に動かすことを続けると、トラウマ映像がどんどん変わっていきます。最初に標的とした辛い記憶の苦痛が薄れていき、それに伴って、最初は思い出せなかった新たな映像が浮かび上がってきます。そして同時に肯定的自己認知の評価が上がってくるという治療法です。

あらかじめ触れておきたいのですが、実はこの認知行動療法の暴露法もEMDRもどちらかというと単回性のトラウマへの治療に作られていて、両者ともより重症な複雑性PTSD治療のためには、基本的な手技にプラスした工夫がさらに必要になってきます。これについては後に述べます。

筆者はEMDRを選択しました。遷延暴露法を行うとなると、トラウマの体験を話す、言語化が必須になりますが、筆者が担当する子どもや発達障害(神経発達症)の場合、トラウマの言語化そのものが非常に困難な場合が多いので、やむを得ざる選択でした。そうしてEMDRの講習を受け、実際に臨床に用いてみて、その効果に驚嘆しました。

また、これまで長い間探し求めていた自閉症のタイムスリップ現象の治療法が見つかるという、筆者にとっては大発見もありました(この治療手技については後述します)。自閉症のタイムスリップ現象とは、自閉症児がはるか昔のことを突然に持ち出し、あたかもつい先ほど起きたかのように扱う、自閉症特有の記憶にまつわる症状で、筆者自身が初めて取り上げました。これはフラッシュバックの一種なのですが、この現象に由来する殺人事件まで起きているため、筆者は治療法を探し求めていたのです。

さらに解離のレベルが非常に高い、解離性同一性障害(DID)への治療技法である自我状態療法の講習を受け、広義の臨床催眠に属するこの特殊な治療技法を学びました。そうして再度、きわめて難治性と考えていた多重人格の治療が安全に速やかに進むことに驚嘆しました。筆者は正直なところ、50歳を過ぎて自分の精神科医としての力量が上がる可能性などまったく考えていませんでした。こうしてトラウマ処理を学んだ後、治療ができる領域が大きく広がったと実感し、なんと自分は傲慢だったのだろうと深く恥じ入ることになったのです。臨床医たるもの、一生が己の治療技術の革新とその探究です。それを怠るとあっという間に、時代のニーズに応えることができない、「慢性精神科医」に陥ってしまうのです。

付け加えれば、この体験は筆者にとって精神科医としてのターニング・ポイントでした。筆者はその後、自らの治療技法を高めるため積極的に様々なトラウマ技法の習得に努めるようになりました。また臨床の達人、神田橋條治先生の門を叩き、陪席に加わらせていただきました。さらに臨床催眠、遠絡療法、漢方薬の活用、極少量処方の活用などなど、精神医学の王道からきっちり外れていくことになります。

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さらに【つづき】〈愛していた息子が中学生になった頃、突然激しい拒絶を感じ同室にすらいられなくなった…意外と知らない「フラッシュバック」の原因〉では、フラッシュバックについてくわしくみていきます。