なぜ日本から「学歴主義」が消えないのか…「高学歴=勝ち組」思想をあおり続ける“罪深き存在”の影響

AI要約

関西の中堅私大を訪れた高学歴グループが学生を上から目線でいじることが波紋を呼び、学歴社会の是非が議論されている。

日本の学歴社会は東大や京大などの大学の卒業生を崇める「学士様」から始まり、指定校制度や偏差値至上主義を経て続いてきた。

バブル経済崩壊後の就職氷河期において、学歴偏重主義に疑問が投げかけられるようになった。

なぜ日本から「学歴主義」が消えないのか…「高学歴=勝ち組」思想をあおり続ける“罪深き存在”の影響

高学歴を掲げて学歴系YouTubeを運営するグループが、関西の中堅私大を訪問して学生を上から目線でいじったということが、ネット上で波紋を呼んでいます。

その大学の教授がこれに苦言を呈したり、あるいは脳科学者の茂木健一郎氏が「知性のかけらもない、日本の恥」と彼らを一刀両断の下に切り捨てるなどしたことで、今また日本の社会人にとって「学歴」とは重要なものなのか、はたまた無意味なものなのか、といった視点での議論が盛り上がっているようです。

“古くて新しい”学歴を巡る問題を考えてみましょう。

日本における最初の大学である東大、それに続いた京大と各帝国大学、さらに私立大学の先駆け的存在であった慶応、早稲田などの卒業生が、いわゆる「学士様」として世間一般に崇められたことが、日本の学歴社会の始まりであるように思います。

1970年代までは一部大手企業の新卒採用において、企業側がこれらの大学に推薦を依頼し、推薦を受けた学生しか選考に参加させない「指定校制度」というものが存在しました。

指定校制度は、学生紛争などを経て大学の姿勢が変化したことや、大学数と学生数の急増により批判が高まってきたこともあって、表向きは姿を消すことになります。

しかし、時同じくして1970年代に「偏差値」で大学の入学試験の難易度を測ることが一般的になり、指定校制度は偏差値至上主義に形を変え、新卒採用における序列的な価値観を確立します。こうして暗黙の指定校制度は残り、学歴社会は脈々と生きてきたわけなのです。

1980年代は全般的に好景気に後押しされた売り手市場が長く続いたことで、新卒者が採用からあぶれることも少なく、新卒採用において学歴偏重の是非が大きく問われることはありませんでした。

1990年代に入るとバブル経済期が終焉(しゅうえん)を告げ長期低成長の時代に入ったことで、採用市場はそれまでの売り手市場から一気に買い手市場に転じます。ここでようやく、就職氷河期などにおいてもなお実質的な学歴偏重主義を貫く大手企業の新卒採用姿勢に、疑問の目が向けられるようになってきたのです。