元ミス東大が語る、浪人生活 二度目の受験、ページ飛ばすミス「終わった…」

AI要約

神谷明采さんは東大に進学するために1年浪人し、予備校生活や友人関係を通じて様々な経験を積んだ。

勉強方法や仲間との関係を大切にし、努力を惜しまない姿勢が浪人生活を乗り越える力となった。

挫折や辛い時期もあったが、東大模試での結果を受けて立ち直り、不安を克服するために勉強を続けた。

元ミス東大が語る、浪人生活 二度目の受験、ページ飛ばすミス「終わった…」

2020年にミス東大に選ばれ、現在は大学院生として学びながらモデル、タレント活動をしている神谷明采(あさ)さん。大学受験では1年浪人して東京大学の文科二類に進学しました。どのような浪人時代を送ったのか、話を聞きました。

――東大を目指したのは、何かきっかけがあったのでしょうか。

それまで、人生があまりうまくいっていなかったんです。私は4人姉妹の上から2番目ですが、1歳上の姉に勉強でも運動でもかなわず、中学受験にも失敗しました。自分に何か誇れるものがほしいと、ずっと思っていました。そんな私が憧れたのが、東京大学でした。たまたま高校1年の時に東大の学園祭に行って、「こんなに楽しそうなキャンパスライフを送れるなら、行くしかない」と思ったのです。

――現役のときは、どのような受験でしたか。

東大文科二類、早稲田大学政治経済学部、慶應義塾大学経済学部、あとは一橋大学経済学部の後期日程試験を受けました。経済学部を選んだのは、つぶしがきくから、というくらいの理由です。早稲田と慶應は両親の勧めで受けましたが、センター試験(現在の共通テスト)が90%しか得点できなくて、センター試験利用入試が使えず、一般入試での受験でした。

当時の私は、東大以外は考えられなかったので、私大対策はしなかったところ、補欠にすら引っかかりませんでした。

その結果、どこも合格することなく、浪人することになりました。東大に入試得点の開示請求をすると、合格ラインにあと6点足りなくて落ちたことがわかったんです。予備校代は自分の貯金から出すよう親に言われたのですが、この点数のおかげで特待生のような制度を使えて助かりました。

――予備校時代はどんな生活でしたか。

朝が苦手なのでだんだん午前中は行かなくなり、朝10時に起きて、母にお弁当を作ってもらって、正午から夜10時頃まで予備校にいる生活でした。夕方、授業が終わると自習室に行きました。棚やライトもあって­快適だし、スマホをいじっていると注意してもらえるというのもよかったです。「勉強は自習室だけ」と決めて、家に帰ったら家族と受験に関係ない楽しい話をして、晩ごはんをガッツリ食べて、気持ちを切り替えていました。

――苦手な教科は、どのように乗り切りましたか。

最初に好きな科目を勉強するようにしていました。苦手な科目は集中力が続かないし、時間が過ぎるのが遅く感じられて、勉強が苦しくなってしまうんです。最初に自分が集中しやすいもの、暗記ではなく頭を使うものをやると、バーっと時間が進んで勉強がしやすくなります。「最初の数時間を集中できると、その後は何時間でも勉強が続けられる」と言う東大生は実は少なくありません。この方法はおすすめです。

――予備校での友人関係はいかがでしたか。

同じ東大志望の女子5人で仲良くなりました。たまたま名簿の順番が近かったんです。模試で10位以内に入るような優秀な人ばかりで、一緒にいて刺激を受けました。参考書の使い方を聞いたり、お弁当を食べながら世界史のオスマントルコについて話したり、数学の問題の別の解法を探したりして、得意科目を教え合いました。おかげで私は社会の成績が伸び、友達は数学の偏差値が上がりました。仲間と本当にいい時間の過ごし方ができて、心の支えになりました。

――辛いこともあったのではないでしょうか。

東大模試はずっとA判定だったのに、夏の模試でB判定を取ってしまったときは、ストレスが、はんぱなかったです。「人生真っ暗」だと思いました。でも、不安を解消するには勉強するしかないと頭を切り替えました。