50代のうちに親孝行「老いた母親」を見て思うこととは?

AI要約

母親が老いてきたことによる感情や接し方について、アラフィー世代の体験談を通じて紹介されています。

母の身体や心の変化に対して切なさや親孝行の気持ちを持つ人、悲観的になってしまった母に対して対応を模索する人、母の老いを受け入れつつ大切にする人など、さまざまな思いが描かれています。

年を重ねることが当たり前の過程であり、それに対する理解と母への愛情を大切にする姿勢が示唆されています。

50代のうちに親孝行「老いた母親」を見て思うこととは?

50歳ともなると、誰でも気になるのは、「老いたお母さん」のこと。ただただ母親を頼って、甘えていればよかった幼いころと違い、身体も心も以前とは違ってきた母親を見て、心に浮かぶ感情も接し方も変わってくるのは当然のこと。そんな老いてきた母親の変化を目の当たりにして、アラフィー世代が思うこととは?

●「私が小さな頃から、母は肩こり持ちだったので、よく揉んであげていました。今でも時々揉んであげたりするのですが、昔はもっとふっくらしていた母の背中が、今は小さく、薄くなって、腕もすごく細くなってるのを見るたびに、少し切ない気持ちになります。そしてその度に、親孝行、もっとしなくちゃ、後でもっとこうしてあげたらよかったって思わないようにしなくっちゃ、とひしひしと感じます」(48歳・会社員・母76歳)

●「母は数年前に大きな病気を経験し、その後、体も心もあちこちが辛いせいもあるのか、すぐに悲観的になるようになってしまいました。以前は明るくて、ちょっと楽天的すぎるくらいの愉快な母だったのに、最近は常に何かよくないこと(天変地異が起きるのではないかしら? とか、孫がいじめに遭っているのではないかしら? とか、父が重い病気にかかるんじゃないかしらとか。全て、なんの根拠もないのに……)が起きることを想像しては、心配して私に電話をかけてきます。その度に、あんなにハッピーオーラ満載だった母はどこに行ってしまったのか、と悲しいやら、腹立たしいやらで。でも、母がそんな風になった始めの頃はつい、冷たく当たってしまうこともあったのですが、最近はもやっとくる気持ちを抑えて、親孝行のつもりで話を聞いてあげることにしています。もし母がいなくなってしまったら、そんな話すらもできなくなってしまうのですから。」(54歳・会社員/母88歳)

●「今の母を見て思うこと、といえば、『歳を重ねるとこうなるのかぁ』と言う言葉につきるかも。耳が遠くなったり、滑舌が悪くなったり、同じことを何回も報告してきたり、好きだったものもあまりたくさん食べられなくなったり。運転も昔に比べて少し危なげになってきた気がしていて、一緒に車に乗るとヒヤヒヤするので、そろそろ免許を返納するように説得しないといけないな、と思っています。昔はいわゆるキャリアウーマンで、精力的に飛び回っていた母が、すっかり弱々しいおばあちゃんになってしまったようで、切なくなることもあるけれど、でも歳を重ねたら今まで出来た事が出来なくなるのは当たり前。だから母がこれまでと違った姿を見せてきても、特に責めたりキツく言ったりすることはないし、これからもそんな接し方をするつもりはありません。大切な、大好きな母であることは変わらないんだし、自分もいずれ通る道なのだから」(53歳・会社員・母83歳)