信州で愛され60年「テンヨのビミサン」山梨のだしつゆ でも4割以上は長野県で消費 根付いた背景に「食文化」

AI要約

信州の食卓を支える「だしつゆ」。愛用者が多く、長野県で消費量が特に多い「テンヨのビミサン」の魅力に迫る。

テンヨ武田の歴史や信州での人気の背景を探る。明治5年に創業した武田本店から始まり、テンヨの由来や信州の歴史との縁について解説。

「テンヨ」の意味やビミサンの名前の由来を紹介。ビミサンは「おいしさ」を「讃える」という意味で名付けられた。

信州で愛され60年「テンヨのビミサン」山梨のだしつゆ でも4割以上は長野県で消費 根付いた背景に「食文化」

信州の食卓を支える「だしつゆ」。これまでビタミンちくわやホモソーセージなど、度々、長野県内での消費量が特に多い商品を取り上げてきたが、今回は「テンヨのビミサン」。2024年で発売60周年。山梨県のメーカーの商品だが、実は4割以上が長野県内で消費されている。信州に根付いた理由を取材した。

切り干し大根に、煮込みうどん。これらの味付けに使われているのは、少女の描かれたラベルが目印の「テンヨのビミサン」。

2024年で発売60周年を迎えた。 

愛用歴30年以上の女性は「いつも切らさないようにストックしていて1年中ある。あっという間に使っちゃう。これは本当に離せません」。また、愛用歴50年以上という男性は 「何十年も昔から、これ一本。いろいろ使ってみたけど、これが一番」と話す。

愛用する県民はかなり多いようだ。

山梨県に本社を置く「テンヨ武田」の甲府南工場。

原料はかつおだしや、しょうゆなど。 煮出しから充填まで、この工場内で全工程を行っていて、年間90万リットルのビミサンが作られている。 

最後におなじみのラベルを貼って各地へ発送される。

販売されているのは山梨を中心とした主に東日本のエリアだが、実は長野県が最も消費量が多く、断トツの44%に上っている。

テンヨ武田の武田信彦社長は 「(信州で)大変な量を使っていただいておりまして、足を向けて寝られないですね」と話す。

なぜ、信州が一番?歴史と背景を探ってみた。

テンヨ武田の前身・「武田本店」が創業したのは明治5(1872)年。 戦国武将・武田信玄で有名な「武田家」の血を引く武田善兵衛が立ち上げた。

今の社名に使われている「テンヨ」は、当時、販売していたしょうゆの商品名。 実は「甲斐の武田」らしいネーミングだ。

「川中島の合戦」などで熾烈(しれつ)に争っていた武田信玄と上杉謙信。 そうした中、武田の領地・甲斐は塩不足に苦しんでいた。それを知った上杉謙信は敵である武田方に塩を送ったとされている。 相手の弱みにつけ込まない考えや行動を表わすことわざ・「敵に塩を送る」の由来とされるエピソードだ。

武田社長は「テンヨというのは、『天』が『与える』という字を書く。(甲斐では)まさか上杉謙信からもらった塩だとは言えないので、『天与の塩』といった。山梨県にとっては塩はすごく大事なもので、その塩で造っているしょうゆは『天与』という名前がいいということで『テンヨ』となった」と説明する。

今回の主役・だしつゆの「ビミサン」は「おいしさ」を「讃える」という意味を込めて名付けられた。