“蒸気機関車の夜行列車”は「夜も走らせたらどうか」の一言で生まれた? 秩父鉄道の現場スタッフ総出で実現した“奇跡の人気イベント”

AI要約

熊谷駅発着の夜行急行「第51三峰号」を運行する秩父鉄道。石炭を積んだ蒸気機関車や電気機関車が織り成す夜の旅を提供。

蒸気機関車の全般検査のため、秩父鉄道は電気機関車による「ELパレオエクスプレス」を運行。夜行列車の魅力と昭和の雰囲気を存分に楽しめる。

夜行列車は実用的なだけでなく、日常を離れた時間を楽しむための旅。街の灯りが遠ざかる中、駅だけが明るさを放つ。

“蒸気機関車の夜行列車”は「夜も走らせたらどうか」の一言で生まれた? 秩父鉄道の現場スタッフ総出で実現した“奇跡の人気イベント”

 漆黒の蒸気機関車が小さなライトの光を浴びて闇夜に浮かぶ。その姿に威厳と力強さを感じた。まるで「せっかく隠れていたのに、聖なるチカラで居場所を突き止められたラスボス」だ。

 そのラスボスの背中、C58形363号機の炭水車に人影がふたつ。真っ白な水蒸気に包まれている。どっさり積まれた石炭の山を整えている姿。それはまさしく強敵に立ち向かう勇者に見えた。

 ここは埼玉県秩父市の秩父鉄道三峰口駅だ。秩父鉄道は2024年3月16日から17日にかけて、夜行急行「第51三峰号」を運行した。熊谷駅を22時58分に出発し、三峰口駅で折り返して、翌朝5時56分に熊谷駅に戻るという行程だ。

 秩父鉄道といえばSL列車「パレオエクスプレス」の運行で有名だ。秩父、長瀞観光のシンボルでもある。夜行列車は秩父鉄道の新たな目玉商品として、2018年12月から不定期に運行されている。日本旅行が催行する団体ツアーという枠組みだ。今回は初めて、蒸気機関車による夜行列車が実現した。

 秩父鉄道が夜行列車を始めた理由のひとつに「2020年問題」があった。2020年に蒸気機関車、C58形の全般検査が予定されている。作業には1年以上が見込まれていた。全般検査は自動車で言えば車検に当たる重要な検査だ。

 鉄道車両の全般検査と言えば、車両を可能な限り分解して点検し、不具合があれば部品を交換して組み立て直すという大がかりなものだ。C58形363号機は1944年製で製造から75年も経過するから、徹底的な検査が必要だった。

 蒸気機関車が不在のあいだ、電気機関車による「ELパレオエクスプレス」を運行する。この電気機関車は、ふだん石灰石輸送の貨物列車に使われていて、客車を牽く珍しい機会となった。電気機関車と客車の組み合わせは国鉄末期にも多く存在し、往年の鉄道ファンにはウケるかもしれない。しかし、蒸気機関車の不在は厳しい。

 そこで、夜も走らせたらどうか、というアイデアが生まれた。2018年から運行し、人気が定着すれば、電気機関車と客車の組み合わせも味わい深いことを知ってもらえる。だいたい夜行列車と言うだけで、昭和世代の鉄道ファンには郷愁がこみ上げる。

 もともと夜行列車は「夜間に移動すれば、到着地で朝から活動できる」という実用的な列車だ。それは現在の夜行高速バスにも受け継がれている。しかし、夜行列車の魅力はそれだけではない。日常から離れてゆっくりと旅になっていく。自分は遠くに行くんだと、覚悟するための列車だった。

 賑やかな都会を出発し、深夜の住宅街を通過する。夏は部屋の中まで見えてしまう家があり、きっとテレビで野球を観戦しながら、お父さんがビールを飲んでいるだろう、などと思いを巡らせる。

 列車の窓ガラスの中は旅、外は日常だ。夜も更けて、車窓に現れる建物の灯りが減っていく。やがて街灯だけが蛍のようにぽつん、ぽつんと通り過ぎていく。明るい場所と言えば駅だけだ。しかしそこに人はいない。