原爆軽視が根付くアメリカ。『オッペンハイマー』に日本人精神科医が今思うこと

AI要約

1945年8月6日広島に、そして8月9日に長崎に原子爆弾が投下された。

昨年から改めて原爆投下について考える場面が増えた。日本では、アメリカに8ヵ月遅れ3月29日に公開された映画『オッペンハイマー』によって、原爆投下後の広島や長崎の惨状が描かれなかったことが問題視された。しかし、公開後は洋画上映興行収入1位を記録し、8月2日からは全国でアンコール上映されることとなった。

『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』の著書があるハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞さんは、アメリカと日本の原爆に対する認識の違いに違和感を感じながらも、広島での原爆体験を通じて育った。彼女は、映画『オッペンハイマー』を通じて、原爆投下による人類の葛藤を考えさせられた。

夫が興奮気味に語った授業で知った人物、J・ロバート・オッペンハイマーに関心を抱いた内田舞さんは、オッペンハイマーの複雑な人生について詳しく調べる。オペラ『ドクター・アトミック』に描かれたオッペンハイマーの人間性と科学者としての葛藤に感銘を受け、その後映画『オッペンハイマー』で再び彼の生涯を追う。

アメリカの政治情勢や冷戦の中でオッペンハイマーが置かれた葛藤、そして彼が抱えた罪悪感と戦争による被害への苦悩、これらが作品を通じて伝えられる。しかし、作品が原爆の現実的な被害についてはあまり触れず、その認識の違いによる違和感が残る。

アメリカでの反念映画『オッペンハイマー』の公開を契機に、原爆投下の歴史と人間の複雑な心情が再び注目を浴びている。内田舞さんの寄稿や映画を通じて、原爆時代の人間性や倫理に対する問いかけが再燃しており、日米両国の認識の違いから生じる違和感が浮き彫りになっている。

原爆軽視が根付くアメリカ。『オッペンハイマー』に日本人精神科医が今思うこと

1945年8月6日広島に、そして8月9日に長崎に原子爆弾が投下された。

昨年から改めて原爆投下について考える場面が増えた。それは、7月にアメリカで映画『オッペンハイマー』が公開され、今年3月に開催されたアカデミー賞では作品賞や監督賞など最多7部門を受賞したことも大きいのかもしれない。日本では、アメリカに8ヵ月遅れ3月29日に公開されたが、本作は日本での公開が危ぶまれていた。日本は世界で唯一の被爆国であり、「原爆の父」と呼ばれるオッペンハイマーが描かれること自体を、そして原爆投下後の広島や長崎の惨状が描かれていないことを問題視する声も上がったからだ。

しかし、3月29日に日本で公開になると、上映時間3時間であるにも関わらず、現時点で洋画上映興行収入1位を記録した。8月2日からは「広島平和記念日」や終戦記念日に合わせ、全国でアンコール上映されるという。

昨年8月6日、「広島平和記念日」に、長くアメリカに暮らし、日本とアメリカの原爆に対する認識の違いに違和感を感じ続けてきた、『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)、新刊『うつを生きる 精神科医と患者の対話』などの著書があるハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞さんの寄稿記事を公開した。

内田さんにとって広島は祖父の出身地であり、現在も親戚が多く住み、幼い頃からとても身近に広島での原爆体験を聞いて育ってきたという。その内田さんがアメリカで感じた、原爆に対する日米の価値観の違いに対する思いを、再構成し前後編で再びお届けする。

映画『オッペンハイマー』の主人公になった、J・ロバート・オッペンハイマーという人物について私が知ったのは、夫と付き合い始めた15年ほど前のことでした。

チェリストで当時イエール大学音楽院の博士課程にいた夫は、その日受けた授業にとても感動したと、興奮気味に話し始めました。それは、オペラ作家でグラミー賞にも輝いたことがあるジョン・クーリッジ・アダムズ氏の授業で、彼の代表作であるオペラ『ドクター・アトミック』を題材にした特別プログラムだったというのです。

オペラ『ドクター・アトミック』は、オッペンハイマーの生涯を描いた作品です。ドイツで教育を受け、ユダヤ人物理学者として第二次世界大戦の終焉を強い目的に掲げ、「ドイツ、ロシアよりも先に作らなければならない」と、物理学の知識を提供した原子爆弾の制作を指揮したオッペンハイマー。このオペラでは、「科学的な前進」と「人類にとってのモラル」、この2つの葛藤が丁寧に描かれていたそうです。

この授業の話を夫から聞いた後、私はオッペンハイマーという人物がとても気になり、すぐに彼について調べ始めました。

第二次世界大戦の米国の原爆開発・製造計画の「マンハッタン計画」に加わった一部の研究者は、原爆の威力を見せつけることが目的であるならば、無実の市民を犠牲にするのではなく無人島に核爆弾を投下し、日本に降伏を迫ろうと当時の大統領のトルーマンに請願を提出しました(シラードの請願書)。これをオッペンハイマーは拒否したこと。しかし原爆投下後には、核兵器開発の研究の打ち切りを強く訴え続けたことで「共産主義のスパイ」という疑いをかけられ米国政府から遮断されたこと。そして自身が関わった兵器が多くの人の人生を崩壊したことに、彼が晩年までうなされ続けたことを知りました。

その後、夫とオペラ『ドクター・アトミック』を映像で見る機会がありました。高校時代の文化祭で、隣のクラスが野田秀樹作の原爆をテーマにした演劇『パンドラの鐘』を演じ、それを見たときの感動を思い出しました。

そんなこともあって、アメリカで映画『オッペンハイマー』が公開されたとき、オペラ『ドクター・アトミック』同様の感動があることを期待していました。実際に見た感想としては、オッペンハイマーの人生に関わる複数のタイムラインを同時に話に組み込んだ巧みなストーリー展開、主演のキリアン・マーフィーの圧巻の演技と、戦争に対する葛藤……、オッペンハイマーという人物の壮絶な人生ドラマに引き込まれ、色々と考えさせられる作品でした。「反核」のメッセージも所々に散りばめられていると感じました。でも、心に強く残ったのは、「原子爆弾の被害のあまりの現実感のなさ」でした。

本作は、天才的な科学者であるオッペンハイマーが政治家のゲームに巻き込まれ、「ロシアのスパイ」だと不当な疑いをかけられる半生を軸に展開します。第二次大戦から冷戦に向かうアメリカでは、少しでも共産主義に対してシンパシーを見せると「危険な敵」と見なされる状況だったのです。本来は共産主義と資本主義の二択ではなく、ブレンドも成り立つはずなのに、共産主義と資本主義で「仲間」と「敵」で二分化する主義の分断が作り上げられ、今現在のアメリカ、そして今の世界の分断につながっているのかもしれないと感じました。

オッペンハイマーという人物の壮絶な人生、その背景にあるアメリカ史には引き込まれたものの、現実に起きた日本の被害についてはほとんど描かれていないため、被害の現実感がなく、「遠くの日本という重要ではない国に起きたこと」として語られている印象を受けてしまいました。

この違和感は、「アメリカでは原爆に対する認識が日本と異なる部分はある」という現実があるからです。そして、「リアルな原爆の被害について世界では驚くほど知られていない」という現実があるのです。私はこの現実……、日本人として何とも言えない嫌な気持ちになる居心地の悪さを学生時代から幾度となく経験してきたのです。