お坊さんがおだやかなのは決して修行の成果だけでなく…禅僧・枡野俊明が説く<喜怒哀楽に振り回されない思考法>

AI要約

多くの人が心おだやかに生きたいと願う中、感情のコントロールが難しい現実に直面している。

「おだやか」であることの難しさと喜怒哀楽が人間らしさであることの矛盾について考察。

禅の教えからおだやかな生き方のヒントを見つけることができる。

お坊さんがおだやかなのは決して修行の成果だけでなく…禅僧・枡野俊明が説く<喜怒哀楽に振り回されない思考法>

「私多くの人たちが「心おだやかにすごしたい」と願います。職場でのコミュニケーションでイライラ。努力が報われなくガッカリ。過去の失敗を悔やんでメソメソ。毎日を幸福に生きるため、感情をコントロールしたいのに、それができない自分にクヨクヨしてしまう。おだやかな人は周りの人をやさしく包み込み、周りの人を幸せな気持ちにし、多くの人に好かれ、多くのチャンスをつかみ、幸せと成功に満ちているはず…。曹洞宗徳雄山建功寺住職、枡野俊明氏の著書『おだやかな人だけがたどり着く場所』より抜粋して、誰にでもすぐに実行できる心おだやかに生きるヒントを紹介します。

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◆「感情に囚われず、逆らわず」

「おだやか」を辞書で調べると、

(1)何事もなく静かなさま。安らか。平穏無事。

(2)落ち着いて静かなさま。

とあります。

きっと、多くの人は、そのように生きていきたいと願っているはずです。

ところが、現実はどうでしょう。

「なにが起こるかまったく予測がつかない」

といわれる時代に、心安らかでいることなど、本当に可能なのか。

そう問いたくもなります。

否、たとえ時代が変わったとしても、おだやかで生きる難しさには、変わりがないかもしれません。

私たちの心は、日常の些事を前にしても、大きく揺れ動きます。

「常におだやかでありたい」と願う自分の気持ちとは裏腹に、腹に据えかねること、人知れず泣きたくなること、さまざまな事態に遭遇するでしょう。

そのたびに、私たちの感情は激しく波打ちます。

それは、止めようがないことです。

なぜなら、「喜怒哀楽」という感情は、人間らしさそのものだからです。

喜ぶこと、怒ること、哀しむこと、楽しむことで、私たちは生の実感を得ることができる。

それを手放せるはずがありません。

むしろ「おだやかでいなければ」との思いが強過ぎると、その思いに囚われ、心は本来の柔らかさを失い、強張っていくばかりです。

では、どうしたら私たちはおだやかに生きられるのでしょう。

そのヒントを、禅のなかに、見つけることができます。