西田敏行さんも涙したオオカミの鳴き声 「動物を守る」 旭山動物園元園長 小菅正夫さん(76) 令和人国記

AI要約

北海道最北の旭川市旭山動物園の元園長である小菅正夫さんの物語。彼は北海道大を卒業後動物園で働き、行動展示という手法で動物園を復活させた。現在は札幌市環境局参与として活躍中。

大学卒業後、動物園の求人を見つけた小菅さんは、旭山動物園で働くことが決まり、劇的な逆転ホームランで採用された。動物への愛情が彼の仕事への原動力となっている。

初めは知識がなく先輩たちから試される日々が続いたが、小菅さんは必死に勉強し、3年間で動物のことを学びながら成長していった。

西田敏行さんも涙したオオカミの鳴き声 「動物を守る」 旭山動物園元園長 小菅正夫さん(76) 令和人国記

北海道にある日本最北の「旭川市旭山動物園」元園長、小菅正夫さん(76)は札幌市出身。北海道大を卒業後、同園で獣医師などとして働き、閉鎖の危機にあった同園を、「行動展示」という手法で話題を呼ぶことで、見事に復活させた。現在は札幌市環境局参与として札幌市円山動物園を担当している小菅さん。その思いにあるのは、動物への愛情だ。

■「君を待っていた」

北海道大では柔道一筋。後輩たちからは「半狂乱の世代」と呼ばれました。勝つために何でもやるから。4年になって就職が決まらず、アルバイトをしながら研究生で大学に残り、その後就職しようと考えていました。忘れもしない昭和48年3月5日、その申し込み手続きで大学に行ったとき、掲示で旭山動物園の求人票を見つけたんです。

動物園なら働けそうかなと思い、就職担当の先生を訪ねたら「君が来るのを待っていた」と言われました。後で聞いた話では、旭川市の偉い方が「獣医を1人採りたい」と訪ねて来たとき、たまたま柔道着姿の私が目の前を走っていたらしく「1人だけ就職が決まっていないのがいる。あの学生です」という話になり、待っていてくれたそう。3年間は絶対に音を上げないという条件を出されましたが、「あの柔道部で4年間辛抱したので絶対大丈夫」と説明し、紹介してもらいました。旭川市役所で受けた面接試験は大学卒業式当日の3月25日でした。受験生は私一人で「4月1日から来てください」という結果に。劇的な〝逆転ホームラン〟でした。

■「あなたがやれ」

旭川市役所では130人ぐらいで3週間の新人研修を受けました。その中で旭山動物園を開設した当時の市長の講話があったんですが、誰も質問しないので、私が手を挙げて「私の配属先は動物園ですが、市長はどんな動物園にしたくてつくったのか」と尋ねてみました。開園6年目。市長の言葉は「あなたがやるんだ」でした。その言葉に「俺がやらなきゃ」とすっかりその気になるわけです。動物園では大先輩がたくさんいましたが、生意気な新人だったと思います。

職員は10人ほど。最初に担当したのはクジャクとか七面鳥でした。キジやウコッケイなんかもいるわけですが、動物園のことは全く知らない。そんな中で先輩が「これは何の卵だ」とか、1本の羽根を見せて「これは何の鳥か」とか質問してくる。適当に答えると「そんなことも知らないなら辞めてしまえ」。揚げ句の果てには「うちの動物は病気になんてならないから獣医はいらない」とまで言われました。先輩たちは動物が大好きで動物園に来た。自分は「動物園でもいいかな」という軽い感じだったので差は大きいわけです。それから動物について必死に勉強を始めました。先輩の獣医からごっそりと本を借りてきたりしながら、3年ぐらいかけて書き写しながら覚えました。コピーなんてない時代でしたからすべて手書きです。