牛窪恵「なぜ結婚しない若者が増えるのか?〈結婚は嗜好品〉〈子どもは贅沢品〉か。マッチングアプリは結婚率を上げる?

AI要約

歴史を遡ると、結婚は家を守るための見合いが主流であり、特に明治時代には家制度に基づいて女性の権利が制限された。

高度経済成長期以降、自由恋愛が浸透し、専業主婦家庭が一般的になりました。さらに、ロマンティック・ラブ・イデオロギーが日本にも影響を与え、結婚観が変化しました。

現代では、生涯未婚率が上昇し、結婚しない人が増えています。家族や結婚に対する価値観の変化が、この傾向を支えています。

牛窪恵「なぜ結婚しない若者が増えるのか?〈結婚は嗜好品〉〈子どもは贅沢品〉か。マッチングアプリは結婚率を上げる?

2023年の生涯未婚率は、男性が約3割、女性が約2割に上ります。なぜ、結婚しない人が増えつつあるのでしょうか。その変遷をたどります(構成=古川美穂 イラスト=大山奈歩)

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◆家を守るための見合いが主流だった

私たちは、つい「結婚ってこういうものだ」と決めつけてしまいがちです。しかし結婚にまつわる常識は、時代とともに大きく変化してきました。少し歴史を遡ってみましょう。

たとえば江戸時代。初期は農業や家内制手工業などを家族で営むことが多く、夫も妻も家の中や周辺が仕事場でした。ところが中後期には外に工場が作られ、出稼ぎも一般化。明治時代に入ると、1898年施行の明治民法と、それに伴う「家制度」が規定されました。

戸主である家長(男性)に家族を統率する権限が与えられ、妻はその家の氏を名乗ることになった。さらに妻は「無能力者」とされ、働くにも夫の許可が必要に。財産もすべて夫の家に管理され、経済的自立と自由を奪われたのです。

この制度は、日本が日清戦争から日露戦争へと向かうなかで作られたもの。男性が大量に兵に取られ、主に女性が家を守る時代になった。このころに、よき妻・母として家族を支える役割が美化されていったようです。

昭和初期も見合い結婚が主流で、当人の意思はほとんど反映されませんでした。親や親戚、地域の人々によるお膳立てや仲介など、周囲の意向が大きく関わっていたのです。

なぜなら、家業や国家を繁栄させるために、長男すなわち跡取りや兵力を産み育てなければならなかったから。そこに見合い結婚のベースがあったと言われます。

第二次世界大戦後、家制度は廃止されましたが、「家」の意識に基づいた結婚観は今もさまざまな形で残っています。たとえば、婚姻時は夫婦の新たな戸籍を作るのに、「入籍」「A家の嫁になる」など、女性が夫の家に入るような言い方をしますよね。女性側の改姓が9割以上というのもその名残でしょう。

一方で、結婚に至るプロセスはといえば、60年代後半~70年代前半に「見合い結婚」と「恋愛結婚」の割合が逆転しました。きっかけは、55年ごろに始まった高度経済成長です。

企業が集中する都市部に地方から働き手が一気に流入。彼らは親元や地元を離れたことで、自由を手にしました。73年に発表され流行したフォークソング「神田川」にも、狭いアパートでも二人で暮らせば幸せだ、という自由恋愛への憧れが表れています。

このころの結婚の標準は、夫が一家の稼ぎ手として企業に勤め、妻は家事や子育てに専念する専業主婦家庭。経済的に余裕のある家庭も増え、80年代初頭まで、既婚女性の約7割は専業主婦でした。

また、核家族化が進み、「一家の主たる男が外で働き、女は家庭を守る」という価値観が定着したと言えます。

さらに、18~19世紀のヨーロッパで生まれたとされる、恋愛・結婚・出産の3つをセットで考える「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」が日本に浸透。

男女が結婚を前提とした自由恋愛の末に結ばれ、子どもを産み育てることこそが《美しい》とされ、高度経済成長期以降の恋愛や結婚の常識として深く根づいていったのです。