今宵も訳ありの客たちが暖簾をくぐる|作家・山口恵以子が語る、人情漫画『深夜食堂』の魅力

AI要約

安倍夜郎氏による深夜12時から朝まで営業する食堂を舞台に、人生の哀喜が描かれた人情漫画『深夜食堂』。様々な訳ありの客が集まり、個性豊かな人々が織り成す物語が展開される。

山口恵以子さんによれば、設定や人物造形、お客同士のやりとりに惹き込まれる作品。常連客と新客の対応、マスターの調理の様子など、心温まるストーリー展開が多くの読者を魅了している。

料理の描写も行き届いており、一皿の料理からも人生の葛藤や喜び、悲しみが表現されている。食と人生が交錯する瞬間を通じて、庶民の哀喜を描き出す安倍夜郎氏の手腕が光る。

今宵も訳ありの客たちが暖簾をくぐる|作家・山口恵以子が語る、人情漫画『深夜食堂』の魅力

深夜12時から朝まで営業する「めしや」で供される一皿から、人生の哀歓が語られる人情漫画とは。

著者 安倍夜郎(あべ・やろう)さん

(漫画家・61歳)

1963年、高知県生まれ。『山本耳かき店』でデビュー、『深夜食堂』が大ヒット。第55回小学館漫画賞一般部門など受賞。その他に『生まれたときから下手くそ』など。

2006年の連載開始から18年となる『ビッグコミックオリジナル』の看板連載のひとつが『深夜食堂』(安倍夜郎)だ。

小林薫主演でテレビドラマ化され、世界21か国で放映されるなど、“食と人間模様”を描くドラマとして、海外での人気も高い。

食堂と酒をテーマにし、累計100万部となる小説『食堂のおばちゃん』『婚活食堂』『ゆうれい居酒屋』シリーズなどで知られ、自身も食堂での勤務歴がある作家の山口恵以子さんが、同作の魅力を語る。

「私はテレビドラマを先に観たんですが、まず設定が巧みです。新宿の歌舞伎町を思わせるロケーションと夜12時から朝までという営業スタイルで、老若男女、さまざまな事情を抱える訳ありの客が自然に集まってくる。このお客さんの人物造形がまた個性的で、小説ならイメージしにくい登場人物も安倍さんが描くと、ひと目で強い印象に残ります。馴染みの常連客は映画『男はつらいよ』の寅さんファミリーと同じように、長寿シリーズものに必須となるレギュラー俳優のようなものですね」

ドラマ脚本のプロット作者も手がけたことがある山口さんには、食堂の設定だけでなく、それとなく描き分けられたお客同士のやりとりにも惹き込まれるという。

「『深夜食堂』は初めてのお客も、訳あってご無沙汰していたお客、場違いのような珍客でも分け隔てせず受け入れてくれます。そして、読者は常連客の目線で“見慣れぬ客”の様子を見守ることになる。マスターは、お客同士のやりとりを傍目に、お客が勝手気ままにリクエストするメニューをさらっと調理して出す。マスターがお客側の事情に過度に深入りせず、ストーリーの進行役としての節度を保つところも、抑制されたリズムを生んで、心地よい読後感につながっています」

数々のヒット作を連発する山口さんがエンターテインメントに求める醍醐味とは“後味のよさ”。『深夜食堂』が一級の情話として海外でもヒットした秘密の一端もそこに由来するのだろう。

とともに、山口さんの眼鏡に適ったのが、作中で供される料理の行き届いた描写だ。

「目玉焼きひとつとっても、焼き加減や味付けが塩か醤油か、で好みは分かれるはずですが、食堂に勤務した経験のある私から見ても、上手く描き分けられていると思います。一皿の料理にも、お客が抱える人生の葛藤や逡巡、後悔などが映し出されています。丁寧に描かれた料理が市井の人びとの人生の記憶を呼び起こし、現在の喜びや悲しみを浮かび上がらせる。食と人生が交錯する一瞬を切り取り、庶民の哀歓をすくいあげる手腕は、お見事です」

人肌の温もりと苦みのある“大人の味わい”を賞味したい。

解説 山口恵以子(やまぐち・えいこ)さん(小説家・66歳)

1958年、東京生まれ。ドラマ脚本執筆、食堂の調理スタッフを経て小説家に。『月下上海』で松本清張賞受賞。近著に『山口恵以子のめしのせ食堂』(小学館)がある。