右半身だけでほふく前進して玄関へ…ツートン青木さん脳梗塞を語る

AI要約

ツートン青木さんが脳梗塞で倒れ、リハビリを続ける日々を送る中で感じる孤独や苦労、そして感謝の気持ちについて語る。

倒れた時の体験やリハビリでの日々、コロナ感染、料理の難しさなど、様々な試練を経て日々成長していく姿が描かれる。

今後は老人ホームや介護施設で働き、お年寄りに喜んでもらえるような仕事をしたいというツートン青木の展望が語られる。

右半身だけでほふく前進して玄関へ…ツートン青木さん脳梗塞を語る

【独白 愉快な“病人”たち】

 ツートン青木さん(ものまね芸人/65歳)

  =脳梗塞

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 今も左半身にしびれが残って、月水金はリハビリ、火木土はマッサージの担当の方に来てもらっています。歩けるようにはなったけれど、たまに東京に出てくると、みんな足早で嫌になります。腰の曲がったおばあさんなら同じくらいのペースで歩けるかな、と思っていたら、ぐんぐん距離を離されてしまって……寂しい話です。

 2021年12月、母親のお葬式の翌朝、自宅で倒れました。前日たくさんお酒を飲んで、そのままソファで寝てしまい、朝寒くて目が覚めました。異変があったのはトイレを済ませてソファに戻ってきてからです。何か変だと思って一度立ち上がって座り直そうとしたら、床にゴロンと転がってしまったのです。

 とっさに頭に浮かんだのは、自分が17歳のときに脳卒中で倒れてそのまま植物状態になってしまった父親のことでした。「あ、自分にもきちゃったな」と思いました。体を触ってみると、手も足も顔も左側が麻痺して感覚がありません。

 口の中も半分しびれている状態で、幸いにも手元にあったスマホで119番に連絡しました。状況を説明すると、最後に「ドアの鍵は開いていますか?」と聞かれたので「いいえ」と答えると、「場合によってはドアを壊すかもしれません」と言われて動揺しました。じつはうちの玄関ドア、大きな観音開きでちょっと値が張るんです(笑)。だから玄関を壊されたら大変だと思って、待っている間、そればっかり気になりました。

 結局、右半身だけでほふく前進して玄関まで行き、必死で上半身を伸ばして鍵を開けました。ものすごい力が出ましたね。

 自宅(小田原)近くの病院に運ばれて1カ月入院しました。詳しいことはわかりませんけど、点滴治療でした。その後は、早く良くなるようにと息子(同じくものまね芸人の青木隆治さん)の希望で都内のリハビリ専門病院に転院しました。

 本当は5カ月と言われたけれど、私が早く退院したくて3カ月で退院。というのも、もともと人に指示されたり、決められたスケジュールで毎日動くのが嫌いな性分なんです。病院では言語聴覚士の時間、作業療法士の時間、理学療法士の時間、マッサージの時間、食事だ風呂だと、まるで学校の時間割のように組まれていて、それが嫌で嫌で……。おまけにコロナ禍だったので家族すら面会禁止。あんな寂しいことはなかったです。

 看護師でさえ、特別なカードがないと上がって来られないくらい厳重な病室だったんですけど、なんと転院から1カ月後に咳が出始めて、調べたら新型コロナに感染していました。

 それでコロナ専門病院に10日間ほど入りました。その移動中、車の窓が全開で、すごく寒かったのを覚えています。2月ぐらいだったでしょうか。病院のスタッフはコロナ対策で完全防備でしたけど、私は薄い上着だけで出て来てしまい、震えあがりました。誰か寒さについて助言してくれても良かったと思うんですけどね(笑)。

 いろいろありましたが、とにかく早く退院したかった私は、その後、猛烈にリハビリを頑張ったことは間違いありません。主治医はもちろんですが、家族のOKが出るまで退院できないので、リハビリの動画を撮るときは全力を出しました。そうやって、早めの退院を“獲得”したのです。

 現在もリハビリとマッサージの方に日替わりで来ていただいているのは、そうでもしないと自力だけでは回復できないからです。本来は教えてもらったことを復習しなければなりません。でも、忘れてしまってそれができない。「毎日歩いてください」と言われても、近所を歩けば人に会っちゃうじゃないですか。同情されるのも嫌なので出歩けないんです。しかも、半身麻痺を悟られないように歩こうとするとすごく痛いんです。じつは今日も痛み止めの薬を飲んできたんですよ。

 生活では、食事は娘が用意してくれますが洗濯や炊事を自分でやるようにしています。でも思うようにはいきません。ちょっと前まで地元で飲食店をやっていたくらい料理は得意なんですけど、体がこうなってお店は閉めました。左手のコントロールが利かないんです。

 右手で包丁を持って、左手で食材を押さえる際、力を入れると勝手に動いてしまうから、2~3度、左手の爪に包丁が入ってしまうことがありました。思いもしない動きをして、持った器が飛ぶこともありました。グラスなんか2、3個割りましたよ。今は軽い器に変えましたが、重い器を持ったときは指がペンチでつねられるように痛い。

 それでも、少しずつ良くなっていくごとに「感謝」の気持ちが湧いてきます。母親もよく手が痛いと言っていたのに、当時は本気で心配してあげられなかった。今になって、やっとあの頃の母の痛みがわかるようになりました。

 この経験を経て、これからは老人ホームや介護施設で、お年寄りに楽しんでもらう仕事がしたいと思っています。今いろいろと計画を練っているところ。「普通の動きが普通にできたことは幸せだったんだな」と改めて感じています。

(聞き手=松永詠美子)

▽ツートン青木(つーとん・あおき) 1959年、神奈川県出身。国鉄(現JR)職員、ダンプカー運転手を経て、33歳からモノマネ芸人との“二足のわらじ”を続け、35歳でモノマネに専念。美空ひばりの歌マネや古畑任三郎に扮した田村正和のモノマネをはじめ、数多くのレパートリーを持つ。