失敗する未来を100個考える「失敗研究」–マイナスを知り尽くすことが成功への近道

AI要約

糸川英夫氏のイノベーション手法について解説。

失敗から学ぶ重要性やコンプレックス効果について。

未来の失敗研究、苦しみから生まれた失敗研究についての事例。

失敗する未来を100個考える「失敗研究」–マイナスを知り尽くすことが成功への近道

日本の「ロケットの父」として知られる糸川英夫氏は、宇宙開発以外にも、脳波測定器やバイオリン製作など生涯にわたり多分野で活躍をしたイノベーターだった。この連載では、糸川氏が主宰した「組織工学研究会」において、10年以上にわたり同氏を間近で見てきた筆者が、イノベーションを生み出すための手法や組織づくりについて解説する。

 「人生で大切なのは、失敗の歴史である」「成功者は最初に失敗をする」「間違ったところにこそ成功のヒントがある」「失敗ではない、成果だ」「失敗という言葉を使わない」「人生に消しゴムはない」「逆境こそが人間を飛躍させる」「逆境は成長のルーツである」「人生で最も大切なものは逆境とよき友である」

 ここに並べた言葉は、ロケット発射が失敗するとSNSに必ず流れる糸川英夫さんの言葉の数々だ。糸川さんには「失敗→逆境→成長」というイメージが定着しているとも言える。それだけ初期のロケット開発が失敗の連続だったのだろう。

(1)現在・過去の失敗に向き合うこと

 糸川さんには50冊以上の著作(糸川英夫著作一覧)があるが、1冊だけ、受験期の子どもを抱えた親に向けて書かれた『糸川英夫の入試突破作戦』という本がある。ここには子どもの成績を上げるための秘訣が次のように紹介されている。

 「第一。子どもに消しゴムをもたすな。子どもは消しゴムが大好きである。右手に鉛筆、左手に消しゴム、消しゴムもこの頃は、ファッションである。消しゴムをもっていると、間違えるとすぐ消す。だから同じ間違いを何度も繰り返す。消しゴムをもたせないで、間違ったところに✕をつけておくと二度と間違えなくなる。ノートをみるたびに『間違いの記録』を見せつけられるからだ。大きな✕がついているのを見るのは、カッコよくないし、不快である。人生でいちばん大切なのは失敗の記録である。すべての成功は失敗のうら返しである。ノートに間違えたことを書いたのは、その子の失敗である。その貴重な失敗の記録が消しゴムで消されるのは、その子にとって一番貴重な財産をドブに捨てるようなものである。生涯、成長を続ける人は、自己の犯したミステーク、誤り、失敗、欠点から目を離さない。だから、たかが子ども消しゴム一つと思わぬことである。一生の人格形成にかかわることと受け取っていただきたい」

 つまり、現在・過去の失敗に向き合うことは、成績向上だけでなく、社会人になってからも、自分のミステーク、失敗、欠点から目をそむけることがなくなるという意味で、人格形成(生涯教育)につながるというのである。

(2)コンプレックス効果

 糸川さんは、現在・過去の失敗だけでなくコンプレックスこそが、跳躍のためのバネとなるという。その逆に、コンプレックスのまったくない人、失敗も逆境も経験のない人の人生は危険極まりない。先行きはたかが知れているとまで言っている。つまり、人並み以下というコンプレックスをもった状態では、その人はなんとか人並みになろうと努力をする。その努力が習慣化されると勢いがついて人並みを超えてしまう。これとは逆に、生まれつき人並み以上だと安心して何もしない。そのため人並み以下になる場合さえある。これを糸川さんは「コンプレックス効果」と名付けた。

 コンプレック効果で成功した例として、アリババグループの創業者であるジャック・マーが何度も大学入試に失敗し、仕事の面接でも多くの拒否を受けた。それでも彼は諦めず、自らの経験を糧にして世界的な企業を築き上げたとか、著名な作家であるスティーブン・キングは、初期の作品は何度も出版社に拒否されたが、その経験を乗り越え、世界中でベストセラーを連発する作家になったとか、例を挙げたらキリがない。

 私の場合も、学生時代に専門分野の勉強内容にまったく興味がもてないコンプレックスから、専門分野を束ねる専門家であるシステム工学屋の道を選んだことが、糸川さんとの出会いにつながった。糸川さんのシステム工学(創造性組織工学)のおかげで、20代には、まだAppleが「IIe」の時代にIT企業を創業し、技術書を20冊以上出版し(累積22万冊以上販売)、ビジネスパッケージを全国に数万本販売。30代には、当時は第1次インティファーダーによって多いときは1日に3回も自爆テロがあったイスラエルで、日本のVC初のベンチャー投資に成功。40代には、通常2~3年しか続かないと言われる外資系のカントリーマネジャー(世界的なデジタルマーケティングツールベンダー)を10年間経営。50代には、世界的なグローバルリスクマネジメント企業に転身。この私のつたない経験からも、コンプレックスが効果をもたらすと断言できる。

(3)未来の失敗研究

 糸川さんの生み出した創造性組織工学の体系Creative Organized Technologyのフローチャートには、「失敗研究」のフェーズが、「組み合わせ」の最後のフェーズにおかれている。

 このことは何を意味するのか。失敗が起きてから失敗に向き合うのではなく、未来におきるかもしれない失敗を事前に研究しておくことの重要性を意味しているのだ。

 糸川さんが戦闘機を設計していた頃の話だ。ある先輩が米国の有名な学者の考えた理論を応用した翼を設計した。ところがこの方法では、水平飛行も急降下もうまくいくが、旋回中に翼の振動と機体の振動が共鳴し、コンマ7秒ぐらいで空中分解してしまった。設計者の設計が原因でテストパイロットを一人殺すと、一生苦しい思いをつづけることになるという。そのためテストパイロットが即死してしまったという失敗から学び九七式戦闘機の翼を設計した。つまり、他人の失敗から未来の失敗研究を行ったのだ。このことを、ユダヤ人は次の格言で表現している。

 「愚か者は失敗に学ばず、才人は己の失敗に学ぶ。そして賢人は、他人の失敗からも学ぶのだ」

(4)20以上の未来の失敗要因を洗い出す

 失敗研究とは、いくつかの実行案(システム合成・分析から生み出す)について、それぞれ最低でも20個、できれば100個の未来の失敗要因(マイナス面)を洗い出して検討することを指す。

 未来の失敗研究はロケットの予算獲得にも活かされた。大蔵省(財務省)の主計官の中には科学者はいない。そのため、当時は日本学術会議が審議機関の役割を果たしていた。要するに日本学術会議が大蔵省の下請けのような形で研究予算の配分の判断をしていたのである。糸川さんのプレゼン時間が30分だったため、1枚のスライドに1分づつマイナス面を30項目を説明した。第1に、日本のロケット開発は米ソのように防衛産業につながるというメリットはない。第2に、ロケットには固体燃料を使う方針だ。固体燃料に一番向いているのは石鹸会社だ。しかし、ロケットは年に数回しか打ち上げないので石鹸会社に固体燃料の開発を頼むのが難しい。第3に、日本は人口密度が高い。平地にロケット発射場を建設するのは難しい、という具合に30項目の失敗要因(マイナス面)を列挙した。

 糸川さんのプレゼンは最高点で予算の全額が承認されたという。なぜかというと、審査員一同が唖然として、これだけマイナスを知り尽くして男なら大丈夫、という結論になったのだ。つまり、プラス面を強調するより、マイナス面を列挙すれば、成功する確率が高いと判断されたのだ。(この方法をJAXAの宇宙戦略基金の獲得に活用してはいかがだろうか)

(5)苦しみの中から生まれた失敗研究

 糸川さんがロケット研究を通じて生み出した創造性組織工学は、新事業、新ビジネス、新商品、新サービスなどの価値を創造するシステム体系だ。糸川さんはこれらのシステム体系を頭で考えただけで生み出していない。元来、システム工学は実践の中から生まれた学問体系で、理論先行からでてきたものではない。

 日経新聞の糸川さんの『私の履歴書』には、中島飛行機時代から転身した東大第二工学部時代の研究が次のように書かれている。 「試作機の空中分解で死亡をとげた親友のテストパイロット林氏へのおわびの気持ちから、この空中分解の事故究明に没頭した。この最終結論は今までの航空学理論から全くはずれたものになったが、当人としては相当な自信があった。終戦後に学位論文として提出したところ、学位論文の資格なしということで却下された」

 前述した先輩の失敗から生み出した九七式戦闘機や未来の失敗要因を列挙し予算を獲得したロケット研究だけでなく、一式戦闘機「隼」二型2号機(試作機)の試験飛行中の墜落についても消しゴムで消さず、『私の履歴書』に失敗研究をしたと書き残している。つまり、糸川さんの創造性組織工学とは、すべて実践を通じた苦しみの中から生まれたもので、普遍性を実証した上で体系としているのである。

 ちなみに、亡くなったテストパイロット林氏の次男である林紀幸氏は、父林三男氏の記録をまとめた小冊子『追憶の空』(発行者:あつ志/東京とびもの学会2017大会)に、次のように書いている。

 「私は父が死去してから18歳(高等学校を出る)まで三重の伊勢市で暮らしていた。高等学校を卒業する時点で就職の難関に見舞われ、父の中島飛行機時代の友人糸川英夫先生を頼ることになった。糸川先生側に立って見ると迷惑な話であったことだろう。糸川先生ははじめてお会いしたとき、あなたが林さんのご子息ですか?とほんの少し私の顔を見つめておられたのを覚えている。そして、今ロケットの仕事をはじめたばかりですが、よろしければ手伝っていただけませんか?と声をかけてくださった」

 その後、林紀幸氏は、宇宙科学研究所課長としてロケット開発の工程を管理する一方で、ロケットや打ち上げ現場を監査する「ロケット班長」とまで呼ばれ、430機以上のロケット打ち上げに立ち会った。

 Creative Organized Technologyのフローチャートには「失敗研究」という4文字が書かれているだけだが、このような物語から生まれているということを記憶にとどめていただければ望外の喜びである。次回は、システムズエンジニアリングと価値創造システムとしての創造性組織工学の違いを考察してみよう。

【著者プロフィール:田中猪夫】

 岐阜県生まれ。糸川英夫博士の主催する「組織工学研究会」が閉鎖されるまでの10年間を支えた事務局員。Creative Organized Technologyを専門とするシステム工学屋。

 大学をドロップ・アウトし、20代には、当時トップシェアのパソコンデータベースによるIT企業を起業。 30代には、イスラエル・テクノロジーのマーケット・エントリーに尽力。日本のVC初のイスラエル投資を成功させる。 40代には、当時世界トップクラスのデジタルマーケティングツールベンダーのカントリーマネジャーを10年続ける。50代からはグローバルビジネスにおけるリスクマネジメント業界に転身。60代の現在は、Creative Organized Technology LLCのGeneral Manager。

 ほぼ10年ごとに、まったく異質な仕事にたずさわることで、ビジネスにおけるCreative Organized Technologyの実践フィールドを拡張し続けている。「Creative Organized Technology研究会」を主催・運営。主な著書『仕事を減らす』(サンマーク出版)『国産ロケットの父 糸川英夫のイノベーション』(日経BP)『あたらしい死海のほとり』(KDP)、問い合わせはこちらまで。