能楽の源流「猿楽」の謎に迫る 狂言公演「おがさわら乃會」 8月25日に国立能楽堂で

AI要約

能楽の源流である猿楽の研究をライフワークにする狂言方和泉流の小笠原由祠が、その成果を披露する狂言公演「おがさわら乃會」を開催する。

小笠原は猿楽に興味を持ち、師事してきた人物の影響を受けながら、猿楽の姿を追求している。

猿楽は庶民の楽しみであり、能楽や狂言よりも原始的なエンターテイメントであったことが伝えられている。

能楽の源流「猿楽」の謎に迫る 狂言公演「おがさわら乃會」 8月25日に国立能楽堂で

室町時代に観阿弥、世阿弥親子が大成した能楽(能・狂言)の源流、猿楽の研究をライフワークにしている狂言方和泉流の小笠原由祠(58)が、その成果を狂言公演として披露する「おがさわら乃會」が25日、東京・国立能楽堂で開かれる。猿楽は平安中期の文献に登場するが、当時の実態は分かっていない。本公演は考証を基に、その姿に迫ろうという試みだ。

■「何でだろう」疑問だらけ

小笠原が能楽に興味を抱き、野村万蔵家の内弟子となったのは高校卒業後。入門が遅かったことが、猿楽へと関心を向けるきっかけになった。

「門閥外で子供の頃から能楽をやっていないので、教わることの一つ一つが『何でだろう』と疑問だらけ。しかし、そんなことを師匠にいちいち尋ねるわけにもいかず、自分なりにいろいろ調べていった」

さらに小笠原が師事していた五世野村万之丞(平成16年死去、八世野村万蔵を追贈)の影響も大きいという。万之丞が古来より伝わる芸能「田楽」を「大田楽」として現代によみがえらせたり、「新猿楽」と称する仮面劇を創作したりする活動に裏方として関わった。

「先生が亡くなられたので、及ばずながらその志を継ぎたい」

■庶民のお楽しみ

能楽は明治以降に使われ始めた言葉で、江戸時代までは猿楽と呼ばれていた。その猿楽を調べていくうちに、平安中期の漢学者、藤原明衡著「新猿楽記」と出合う。猿楽について書かれた日本最古の書物とされる。

東洋文庫「新猿楽記」(平凡社)には、明衡が記した猿楽がこう現代語訳されている。「すべて猿楽とよばれる雑伎の芸態、そのばかばかしい言葉のやりとり、全く滑稽の限り、腸(はらわた)もちぎれ、おとがいの骨もはずれんばかりに笑いこけさせないものはない」

おとがいとはあごを指しており、抱腹絶倒の芸能だったことが分かる。「『新猿楽記』にはこういう役者がいて、こんなレパートリーが行われていたと記されているが、具体的にどんなことをやっていたのかは分からない。そんなところにロマンを感じた」

そして「能狂言というと敷居が高いとか、難しいとか思われがちだが、観阿弥、世阿弥以前の猿楽は庶民のバイタリティーあふれる芸能だった。そういったプリミティブ(原初的)な猿楽の世界観を復元したいと思った」という。