伝統、技術を次世代へ 結成51年「茂森新町ねぷた同好会」

AI要約

茂森新町ねぷた同好会は木材の骨組みでねぷたを作り続け、伝統を守っている。

作業に参加した会員たちは熱気を持って鏡絵を紙に固定し、ねぷたの装飾を進めた。

参加者は幅広い年齢層で、伝統を次世代に継承するために努力している。

伝統、技術を次世代へ 結成51年「茂森新町ねぷた同好会」

 弘前ねぷたまつり開幕が迫った21日、ねぷた運行団体「茂森新町ねぷた同好会」は絵張りの作業を行っていた。今年結成51年を迎えた同会は、鉄製の骨組みが主流となる中、1973年の発足以来、木材の骨組みでねぷたを作り続け、伝統をつないでいる。

 午前8時45分ごろ、会員が続々と弘前市茂森新町のねぷた小屋に集まりだした。これといった打ち合わせもなく、それぞれが自分の持ち場に自然とつく。この日は約30人が参加した。

 作業では、ねぷたの上から運行を指揮する「上乗り台」から鏡絵を垂らし、骨組みにのりで固定する。「(台の)上で取材してみたら?」というベテラン会員の言葉に甘えて、10段ほどのはしごを登り上へ。ねぷたの大きさは縦約6メートル、幅約5メートル。2階建ての建物に相当する視界は爽快だが、カタカタと小刻みに揺れる足場と、腰の高さまでしかない骨組みが心もとない。写真撮影に夢中になって落ちてしまいそうだ。

 午前9時、作業が始まった。上乗り台に乗った6人が鏡絵が破れないよう慎重に紙を下ろし、下から全体を見渡す小山内稔会長(70)が出す指示に従い、位置を調整する。場所が決まったら紙に折り目をつけ、手際よく骨組みにのりを塗り、張り付けていく。三国志に登場する女武将「祝融夫人」を題材に、ねぷた絵師三浦吞龍さんが手がけた鏡絵が姿を現すとねぷた小屋が華やかさをまとった。

 外気と会員の熱気が合わさったこもるような暑さの中、わずか30分で前面の紙張りは終了。作業に参加してみたものの、あまりの速さに手伝う隙がなかった。

 ねぷた背面の袖絵と見送り絵が張られる段階になった同9時40分ごろ、下で作業を見学していた堀江幸暖(ゆきの)さん(9)=朝陽小3年=が上乗り台に呼ばれた。初めて制作風景を見に来たという堀江さんは大人たちに手伝ってもらいながら見送り絵を張り、「将来はねぷたを作ってみたいかも」と笑顔を浮かべた。

 同11時15分ごろには扇部分の絵張りが終了し、「雲漢」の文字を張り付ける額など、台座の装飾に取りかかった。この日の参加者で、堀江さんの次に若いという八戸工業大学4年の佐藤陽向(ひゅうが)さん(22)は、ベテラン会員たちに囲まれながら額を組み立てていた。くぎを一本打つのにも「もっとしっかり押さえて」「こう打つのさ」と先輩方から温かな指導が飛ぶ光景は、なんともほほ笑ましい。

 現在八戸市に住んでいる佐藤さんは「絵張りだけでも参加したい」と帰省。「子供もどんどん少なくなってきて、ここがつないでいるねぷたの伝統的な作り方を数十年後も継承していけるか不安はあるけれど、自分も地域を担う一人として、できることをしていきたい」と語り、さっそうと作業に戻っていった。細かな装飾を終え、午後1時ごろ、絵張りは全て終了した。

 この日参加した約30人は60代を中心に、9歳から80代まで幅広い年齢層となった。若者は少なかったが、年長者が教え、技術をつなぐ土壌が確かにあると感じた。ねぷたまつりの運行には、1日40~50人の子供が参加するという。小山内会長は「本当はもっといてくれたらうれしい」と笑い、「子供たちに楽しんでもらうことが一番大事。そこからねぷたの良さを知ってもらえたら」と話した。(渋谷ひな乃)