「世界タッグ王者として兄弟三冠戦実現へ」双子レスラー・斉藤ブラザーズの大きな野望

AI要約

全日本プロレスの世界タッグ王者・斉藤ジュン&レイの斉藤ブラザーズが注目を集めている。

斉藤ブラザーズは地元のミヤギテレビの番組で人気を獲得し、プロレス界での活躍が話題となっている。

ジュンとレイは未熟児として生まれ、異なる道を歩んだが、最終的にはプロレスラーとして成功を収めた。

「世界タッグ王者として兄弟三冠戦実現へ」双子レスラー・斉藤ブラザーズの大きな野望

今、プロレス界で話題沸騰……いや、世間一般から大注目の的なのが、全日本プロレスの世界タッグ王者・斉藤ジュン&レイの斉藤ブラザーズだ。

◇「TAXIめしリターンズ」で地元・宮城の人気者に

二人は昨年7月から地元のミヤギテレビの地域密着型・情報番組『OH!バンデス』で、タクシー運転手推薦の安くて美味い店に突撃取材する『TAXIめしリターンズ』を担当したのがきっかけで、“とっても強くてちょっぴりキュートな角田市出身の双子レスラー”として人気に火がついた。

番組スタート時は、総帥TARU率いるブードゥーマーダーズというヒール(悪党)ユニットに属して悪の限りを尽くしていたが、愛されキャラになったのである。

「きっかけは、去年の春に『OH!バンデス』で全日本の仙台大会(4月23日)の告知をやったことだな。2分の出番だったけど反響があったらしくて、『TAXIめし』のオファーがきたんだ。最初はできるだけヒール感を強くやっていたが、ちょっとボロが出始めて、途中で“あっ、無理だ!”って、普通にやるようになってしまった(笑)」(ジュン)

「番組が始まった頃、俺は総帥のTARUさんと興行とかでお会いする時に怒られるんじゃないかと思って、ドキドキしていたぜ(苦笑)。でも『あれ、おもろいな!』と言ってくれてホッとした(笑)。結果的に、俺たちの知名度もガーッと上がったし」(レイ)

「町を歩いているとプロレスを知らないおじいちゃんやおばあちゃん、小さい子供からも『あっ、斉藤ブラザーズだ!』と言ってくれるし、プロレスに全然興味がなかった人が会場に観に来てくれるんで、『TAXIめしリターンズ』をやって本当によかったと思う」(ジュン)

2月にレイの右肩脱臼によって返上した世界タッグ王座を、3月30日の大田区総合体育館で諏訪魔&鈴木秀樹から取り戻すと同時に、ブードゥーマーダーズを卒業して、今や善悪のポジションを超越した存在になった斉藤ブラザーズ。

写真集の発売が決定したり、東北楽天イーグルスのセレモニアルピッチをやったりと引っ張りダコ。角田市PR大使としても活躍している。

◇未熟児として生まれ、その後メキメキと大成長

もちろん、リング上ではジュン=193cm&115kg、レイ=192cm&150kgの巨体を生かしたスーパーヘビー級のド迫力ファイトを展開しているが「じつは俺たちは未熟児だったんだ」と、ジュンが意外なカミングアウト。

「母親から聞いた話では、俺のほうが10分ぐらい早く生まれたらしいが、俺もレイも1600~1700gの未熟児だったんだ。俺は生まれてすぐに病気になって1200gになっちゃって、半年ぐらいは病院の保育器に入っていたらしい。保育園に入った時も俺たちが一番小さかった。でも、小学1年生になる頃には一番デカくなっていた」(ジュン)

二人ともハーフならではの端正な顔立ちをしているだけあって、ジュンは小学1年生の時に仙台でジャニーズ事務所(現STARTO ENTERTAINMENT)にスカウトされたという。「スカウトの人が何度も家まで来たっていう話は母親から聞いたな」とジュン。

レイは「双子だけど、俺は太っていたからスカウトの声が掛からなかったらしい(笑)。その頃から身長はジュンのほうが1cm高かったが、俺のほうが太っていて、小学6年生になった時には100kgあったぜ」と笑う。

中学時代は二人とも柔道をやり、高校は父親が住むアメリカへ。父の仕事の関係でサウスダコタ州の高校に2年、モンタナ州の高校に2年(アメリカの高校は4年制)に通った。高校時代に大きかったのは、さまざまなスポーツをやったことだ。

「アメリカの高校はシーズンごとに部活を変えるから、夏はアメフト、冬の間はレスリング、春には陸上をローテーションでやっていた。そして高校卒業後はモンタナ州のコミュニティ・カレッジに通っていた」(ジュン)

ここからジュンとレイ、それぞれの人生がスタートする。K-1が好きだったジュンはキックボクサーを目指し、レイはYouTubeで観た朝青龍のカッコよさに惹かれて力士を目指す。

ジュンは父親に「社会経験を積んでからにしろ」と反対されて、大学に通っている時に大型免許を取得し、卒業後にはトラックの運転手をやって金を貯めてから帰国。埼玉のキックボクシングのジムに入門したが、レイは一足先に帰国して大相撲の出羽海部屋に入った。

「相撲の入門規定が23歳未満だと知って、ジュンよりも先に日本に帰って出羽海部屋に行ったんだけど、1~2週間ぐらいで帰ってしまった(苦笑)。集団生活が当時の自分には合わなくて、親方と女将さんに『帰らせていただきます』と。実家の近くのコンビニやリサイクルショップでバイトしていたら、ジュンが帰国したんだ」(レイ)

ジュンは埼玉県のキックボクシングジムの入門テストに合格して寮生になったが、こちらもレイと同様に馴染めず、食べないで減量するというのができなかったという。

「実家に戻ってバイトをしている時に『やっぱり相撲やりてぇな』って。だったら、最初から辞めるなって話なんだけど(苦笑)、まだ正式に入門していなかったから、今度こそちゃんとやろうと自分から出羽海部屋に連絡して、頭下げて、埼玉のジュンにも会いに行って『よかったら一緒に相撲をやらないか?』って誘って、正式に入門したんだ」(レイ)

「キックと相撲は全然違うけど、俺も相撲に興味がなかったわけじゃないし、母親が相撲好きだったから、俺たち兄弟も幼い頃から観ていた影響もあったのかな。このままアメリカに戻って、またトラックの運転手をやるよりも、相撲に挑戦しようと思ったよ」(ジュン)

こうしてジュンとレイは出羽海部屋に正式入門し、ジュンは藤の海、レイは藤の花の四股名で2009年9月場所で初土俵。190cmを超える大型のハーフの双子の角界入りは話題になった。斉藤ブラザーズ、22歳でのプロ格闘家としてのデビューである。