「あの捜査はアホやった」機動鑑識班が途中で引き返して犯人を逃した「グリコ・森永事件」

AI要約

警察の刑事捜査1課の重要性と捜査の難しさについて紹介されている。

1984年のグリコ・森永脅迫事件での捜査の失敗や保秘の問題に焦点を当てている。

捜査の効率化や一体化が重要であることが示唆されている。

「あの捜査はアホやった」機動鑑識班が途中で引き返して犯人を逃した「グリコ・森永事件」

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30年を超える記者生活で警察庁・警視庁・大阪府警をはじめ全国の警察に深い人脈を築き、重大事件を追ってきた記者・甲斐竜一朗が明らかにする刑事捜査の最前線。最新著書『刑事捜査の最前線』より一部を連載形式で紹介! 

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 治安を揺るがす凶悪犯に対峙することもある警察の捜査1課。都道府県警の刑事部に置かれ、殺人や強盗、放火など社会に不安を与える凶悪事件のほか、誘拐・人質立てこもり、航空機・列車事故などの特殊事件・事故の捜査を担当する。全国最大の陣容を誇る警視庁の捜査1課は約400人体制。オウム真理教による地下鉄サリン事件などの重大事件を解決した実績もある。

 同庁の捜査1課長は刑事警察の現場の「顔」とされる。全国の捜査1課の原動力は個々の刑事の能力と分業制による組織力だ。一方で、現代の捜査には指紋やDNA資料などの採取・解析を担う鑑識課や科学捜査研究所(科捜研)との連携が不可欠とされる。捜査指揮官はいかにして「人の捜査」と「ブツの捜査」の一体化を図るのか。

 1984年3月の江崎グリコ社長誘拐で始まり、日本の犯罪史上最大級の謎となったグリコ・森永脅迫事件(警察庁広域指定114号)。「かい人21面相」を名乗り企業や報道機関に脅迫状や挑戦状を送り付け、青酸入り菓子がばらまかれるという前代未聞の劇場型犯罪だ。空前の大捜査網が敷かれる中、犯人グループの一人とされる「キツネ目の男」は、同年6月の丸大食品脅迫事件と11月のハウス食品工業脅迫事件の取引現場に現れた。周囲を警戒した様子で公衆電話を使い、その後、尾行をまいて姿を消した。

 指紋が採取できる――。大阪府警捜査1課特殊班の捜査員らはこのとき、鑑識課に臨場を要請していた。だが現場に鑑識課員がつくことはなく、キツネ目の男の指紋を入手できる千載一遇の好機は失われた。

 1995年3月に府警の捜査1課長に就任した川本修一郎はその直後に、グリコ・森永脅迫事件が発生から長期間たち引き継ぎもなかったことから、「114号事件捜査班」の班長にそれまでの捜査の経緯をまとめるよう指示した。できあがった報告書はB4判のファイル3冊。これまでどういう捜査をしたかという事実行為だけが書かれていた。疑わしい人物に触れるような記述は一切なく、容疑者にたどり着いていないことは明白だった。

 その中で最も川本の目を引いたのは、キツネ目の男の指紋についての部分だった。決定的な証拠が幻と消えたくだりだ。報告書を読みその事実を初めて知った。事件の発端だった84年3月の江崎グリコ社長誘拐から11年が経過していた。「なんや、これ」。川本は特殊班の幹部に指紋の件を問いただした。

 実は鑑識課への臨場要請は、当時の捜査本部が撤回していた。出動した機動鑑識班は途中で引き返したのだという。キツネ目の男に関する情報が鑑識課に知られると捜査上の「保秘」ができない。マスコミに漏れたら困る。保秘を優先した「上層部」の判断だった。結局、尾行も失敗し、この事実は封印された。

 「あの捜査はアホやった。すべての問題の根本は保秘や。これに尽きる」。事件に強い捜査集団をいかにしてつくりあげるか。川本は2年の任期中、保秘の撤廃による捜査1課と鑑識課、科捜研の一体化に全力を傾けることになる。

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