亡くなる3日前に…俳優・中尾彬さんが30年来の友人に電話で伝えていた「最期の言葉」

AI要約

俳優の中尾彬さんが心不全で亡くなったことが報じられた。妻である池波志乃さんとの仲睦まじい姿や食通として知られ、地元の人たちからも愛されていた。

中尾さんは谷中にある居酒屋に足しげく通い、30年以上の付き合いがある店主との友情も続いていた。地域の人々とも積極的に交流し、地蔵の絵も描いたことから地域に欠かせない存在となっていた。

中尾さんが最後に店に行ったのは5年、6年前であり、最後の電話で「元気になったらまた店に行く」と話していた。その数日後、中尾さんは永眠した。

亡くなる3日前に…俳優・中尾彬さんが30年来の友人に電話で伝えていた「最期の言葉」

 二枚目から悪役まで、幅広い役柄で人気を博した俳優の中尾彬さん(81歳)が心不全のため、この世を去った。渋い声と貫禄がある演技で存在感を示してきた名俳優は、地元の人たちからも愛されてきた。

 生前、中尾さんは妻の池波志乃さん(69歳)とともに台東区谷中にある居酒屋に足しげく通っていた。前編記事「妻・志乃さんが仕事でいないと「寂しい」と言って…中尾彬さんが通いつめた居酒屋店主が明かす「もうひとつの素顔」」に続き、中尾さんとの思い出を店主に聞いた。

 5月16日、心不全のため、この世を去った俳優の中尾彬さん(81歳)。私生活では妻で女優の池波志乃さん(69歳)とおしどり夫婦としても有名だった。池波さんは中尾さんに最期まで寄り添い、自宅で看取ったという。

 俳優、タレントとしてはもちろんだが、食通としても知られている存在だった中尾さん。生前、足しげく通っていた店が台東区谷中にある。

 あんこう鍋、すっぽん鍋など魚料理で有名な「谷中鳥よし」だ。店主の斉藤雅晴さん(81歳)は、中尾さんと30年以上の付き合いがあった。

 斉藤さんは私生活でも中尾さんと交流を持ち、一緒に国内外を旅行したこともあったという。仕事の合間を縫って中尾さんは行き先を調べ、自らスケジュールを立てた。さらには現地では案内役も買って出たという。

 年齢がひとつしか変わらないことや、お互いカラッとした性格であることも共通していたのだろう。中尾さんと斉藤さんの友情は続いていた。

 中尾さんは斉藤さんの店だけでなく、商店街のさまざまな店に顔を出し、常連客や地域の人とも積極的に交流していた。

 その人柄も手伝い、中尾さんは地域にとって欠かせない一員となっていた。

 やなか銀座に連なるよみせ通りのアーチに描かれた地域のシンボルともいえる地蔵の絵も、実は中尾さんの作品なのだ。

 「よみせ通りには昔からお地蔵さん(延命地蔵尊)が有名。そこで中尾さんに描いてもらったんです」

 しかし、中尾さんは体調を崩し、飲酒や外食を控えるようになると店にはあまり訪れなくなったという。

 「コロナもあったから最後に会ったのは5年、6年くらい前かな」

 そんな中尾さんから斉藤さんの元に突然、電話がかかってきた。電話で話すのも数年ぶりのことだった。

 「中尾さんは『元気か? 俺は調子が悪くてうちで休んでいるんだ。元気になったらまた店に行くよ』と話していて、あとは世間話をしたくらいですね」

 死去する3日ほど前のことだった。