妻・志乃さんが仕事でいないと「寂しい」と言って…中尾彬さんが通いつめた居酒屋店主が明かす「もうひとつの素顔」

AI要約

俳優の中尾彬さんが心不全のため81歳でこの世を去った。中尾さんは幅広い役柄で人気を博し、愛されていた名優だった。

中尾さんは妻の池波志乃さんとの絆が深く、最期まで寄り添い、自宅で看取られた。病気から立ち直り、終活を始めるなど、穏やかな姿勢も知られていた。

中尾さんは食通としても有名で、足しげく通っていた魚料理の店があった。店主や常連客から愛され、親しみやすい一面も持っていた。

妻・志乃さんが仕事でいないと「寂しい」と言って…中尾彬さんが通いつめた居酒屋店主が明かす「もうひとつの素顔」

 二枚目から悪役まで、幅広い役柄で人気を博した俳優の中尾彬さん(81歳)が心不全のため、この世を去った。渋い声と貫禄がある演技で存在感を示してきた名俳優は、地元の人たちからも愛されてきた。生前、中尾さんが妻の池波志乃さん(69歳)とともに足しげく通っていた店の店主に思い出を聞いた。

 映画やドラマ、バラエティー番組と幅広いジャンルで人気を集めた俳優の中尾彬さんが心不全のため、5月16日にこの世を去った。81歳だった。

 「渋い声と貫禄のある演技で存在感を示してきた名俳優の一人でした。中尾さんと言えば、ネクタイの変わりに首に巻いた通称「ねじねじ」がトレードマーク、年代問わず、多くのファンを魅了してきました」(スポーツ紙しどり夫婦としても有名だった。池波さんは中尾さんに最期まで寄り添い、自宅で看取ったという。

 「中尾さんは2007年に急性肺炎で緊急入院。一時は多臓器不全障害を起こすなど危険な状態でした。そうした大病もあり、夫婦で『終活』を始めたことも話題になりました。亡くなる直前までお仕事をされていたこともあり、突然の訃報に私たちも驚きました」(前出・芸能担当デスク)

 中尾さんは俳優、タレントとしてはもちろんだが、食通としても知られている。生前、足しげく通っていた店が台東区谷中にある。

 あんこう鍋、すっぽん鍋など魚料理で有名な「谷中鳥よし」だ。

 昭和28年創業、親子3代にわたって家族で営んできた地域でも評判の老舗店。中尾さんはじめ多くの著名人らからも愛され、大将の作る料理は舌の肥えた食通たちをもうならせてきた。

 「中尾さんは20年、30年前かな。奥さんの志乃さんに連れられて見えられたのが最初でした」

 そう話すのは2代目店主の斉藤雅晴さん(81歳)。公私にわたり、長年の付き合いのあった斉藤さんに中尾さんとの思い出を聞いた。

 「毎日のように来ていたこともありますね。23時過ぎに志乃さんやご家族と来ることもあれば、仕事帰りにお一人で見えられることも。志乃さんが仕事でいないと『寂しいから』って言ってうちに来たり、暇になるとフラッと来ることもよくありました」(前出の斉藤さん、以下「」内も)

 中尾さんは来店すると、まずはビールを一杯注文。

 「うなぎの肝や冬はあんこう鍋も召し上がっていましたが、特に好んでいたのが『にら玉子とじ』です」

 細かく切ったにらを和風に味付け、玉子でとじたおかみさんオリジナルのシンプルな一品。にらの香りが食欲をそそり、おかずとしてはもちろんのこと、酒の肴としても外せない。

 「『ねじねじ』は付けずにTシャツ、短パンといった普段着で来ていました。いつも優しくて穏やかな人。俳優さんで有名な方とはみんな知っていましたが、気さくに付き合ってくださいました。よく冗談を言って、常連さんをからかってね」

 秋になり、ボジョレーヌーボーが解禁されれば、それを手に斉藤さんの店にやってきて、居合わせた客に振る舞ったこともある。

 「中尾さんの持ってくるボジョレー目当てに常連さんもたくさん集まってきて。本当に楽しかった」

 斉藤さんは寂しそうに笑った。

 つづく後編記事「亡くなる3日前に…俳優・中尾彬さんが30年来の友人に電話で伝えていた「最期の言葉」」では、中尾さんが斉藤さんに告げた「別れの言葉」を紹介します。