【中尾彬さん逝去】数か月体調優れず、5月に入って容体が急変 葬儀は近親者のみ、妻・池波志乃さんは憔悴しながらも参列者に感謝

AI要約

名俳優の中尾彬さんが亡くなり、突然のお別れになったことが明らかになった。彼の妻である池波志乃さんの意向でごく一部の関係者のみが葬儀に参列し、静かに送られた。

中尾彬さんは病気を抱えながらも闘病を続けていたが、容体が急変し、突然の逝去となった。彼と妻の絆は46年にわたり、共著『終活夫婦』でも語られていた。

若き日の中尾さんはプレーボーイとしても知られ、複数の女性との関係が報じられた過去を持つが、池波志乃さんとの結婚後はおしどり夫婦として理想的な関係を築いていた。

【中尾彬さん逝去】数か月体調優れず、5月に入って容体が急変 葬儀は近親者のみ、妻・池波志乃さんは憔悴しながらも参列者に感謝

 トレードマークの「ねじねじ」を首に巻き、口まわりに手を添えて低い声で語りだすダンディーな名俳優。その姿を見ることはもうできない。中尾彬さんが人知れず亡くなった。長い年月をかけて終活に取り組み、死後を意識してきた中尾さんだが、いくら備えていようとも備えきれないことがあった。【前後編の前編。後編を読む】

 80もの寺院が建ち並ぶ、東京・台東区の谷中地区。色鮮やかなアジサイが咲き始めたとある寺院に、角のない墓石を3つ重ねた個性的なデザインの墓が建っている。「無」の文字が刻まれたこの墓は、5月中旬に亡くなった中尾彬さん(享年81)が生前に建てたこだわりの墓だ。中尾さんの逝去は、ごく一部の限られた関係者にしか知らされていなかった。

「亡くなったのは5月16日頃だと聞いております。あまりにも急でした。長年の友人や仕事関係者にも知らせなかったのは、奥様の池波志乃さん(69才)の意向なんです。中尾さんと志乃さんは、どういった最期を迎えるかをずっと話し合っていて、中尾さんは“静かに送ってほしい”という考えがあった。志乃さんはそれを守ったのです。

 生前の中尾さんは“葬儀もお経もいらない”と言っていたそうですが、周囲が“さすがに寂しい”と、本当に限られた人だけが集まり葬儀が執り行われました。志乃さんは参列者に感謝を伝え、落ち着いた対応をされていたそうです。ただし、憔悴した表情ではありました」(池波の知人)

 5月2日発売の雑誌『モノ・マガジン』(ワールドフォトプレス)で中尾さんは、過去に出演した映画『ゴジラ』の対談企画に登場している。やせた印象はあったが、このとき彼の病状に気づく人は少なかった。

「実はここ数か月は体調がすぐれずに、闘病を続けていたんです。心臓が悪く、その影響もあって体重もかなり減っていた。5月に入り容体が急変し、突然のお別れになってしまったのです」(前出・池波の知人)

《もしも彬に先に逝かれたら──、私は急にやることがなくなって、しばらくはぼうーっとして、しまいにはぼけてしまうかもしれません。(中略)そうならないためにも、一日でも長く二人一緒に……。》

 2018年に発売された中尾さんと池波の共著『終活夫婦』(講談社)に、池波はそう綴っていた。ふたりが一緒になって46年。その日は、突然訪れた。

 芸能界一のおしどり夫婦として知られるふたりは、仲よくメディアに登場することも多かった。

「今日も志乃の隣で幸せです」

 そうのろける夫をにこやかに見つめる池波の姿は、ふたりの深い絆を感じさせた。まさに理想的に年齢を重ねた熟年夫婦。だがその道のりは、決して平坦とは言えなかった。若き日の中尾さんは、吉永小百合(79才)や加賀まりこ(80才)、藤田弓子(78才)らと浮名を流した、自他共に認めるプレーボーイだった。

「1970年に女優の茅島成美さん(81才)と結婚して長男にも恵まれましたが、結婚後に眞帆志ぶきさん(享年87)との不倫が発覚しました。中尾さんが家を出て別居が始まり、離婚調停で中尾さんが2000万円の慰謝料を支払うことで1978年に離婚が成立。長男の親権は茅島さんが持つことになりました」(芸能関係者)