山崎製パン「創業家」副社長「謎の急死」の真相 「メンタルが治りきっていないのに出社させられていた」

AI要約

山崎製パンの副社長で社長候補だった佐知彦氏が突然の死を遂げた事件を報じる。

佐知彦氏の社長候補としての期待や業務の変更、精神的な不調について社内の憶測が明かされる。

佐知彦氏の精神状態が社内で心配されつつも、会社側の圧力で出社を続けていた事実が浮かび上がる。

山崎製パン「創業家」副社長「謎の急死」の真相 「メンタルが治りきっていないのに出社させられていた」

 度重なる工場での死亡事故、消費期限偽装疑惑、過酷な労働環境……。「週刊新潮」はこれまで4号にわたって、総売り上げ1兆円超を誇るパン業界のガリバー「ヤマザキグループ」の内情について詳しく報じてきた。そして今回は、山崎製パンの中枢で起きていた、ある「不慮の死」を取り上げる。グループを率いる飯島延浩社長(82)の次男で、副社長を務めていた佐知彦氏が亡くなったのは今年1月9日のこと。場所は東京の都心、千代田区岩本町にある山崎製パンの本社だった――。

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 1948年に飯島藤十郎氏が設立した山崎製パンは、飯島家が代々社長を務め、現在の延浩氏が3代目である。彼の次男である佐知彦氏は、長男の幹雄氏と共に副社長を務めていたのだが、社長候補と目されていたのは佐知彦氏のほうだった。

 山崎製パンの元社員が明かす。

「元々ヤマザキグループではデイリーヤマザキなどの小売部門が赤字で、長男の幹雄さんが担当していたのですが成果が出ないということで佐知彦さんに代わりました。その後はずっと佐知彦さんが担当していたので、社長は佐知彦さんに期待をかけている、と社内では受け止められていました」

 ところが2021年にデイリーヤマザキ事業は社長直轄となり、22年12月には佐知彦氏と幹雄氏の担当の多くを入れ替える辞令が出され、社内には驚きが広がった。佐知彦氏の受け持っていた生産、食品安全衛生管理、中央研究所の担当は幹雄氏に移り、佐知彦氏の担当は幹雄氏から移った総務のみとなったのだ。

「佐知彦さんが社長にメンタルの不調を訴え、それで担当が代わったと聞いています」

 と、山崎製パンの現役社員はそう話す。

「佐知彦さんがメンタルに不調をきたしていることは、社内ではわりに知られていました。私も年に何回かは本社のエレベーターで一緒になる機会があるのですが、ぶつぶつぶつぶつ独り言を言っていたり、心配になる状態でした。医者からも“しばらく休みべきだ”と出社をストップされていたのに、社長から“会社には出てこい”と言われて出てきていたと聞いています」