日本は中国以上に「社会主義国」?…日本と中国に起こっている「逆転現象」

AI要約

中国の労働環境についての記事。日本と中国の働き方の違いや労働時間の問題に焦点を当てている。

中国の民営企業が創業から生き残りをかけて奮闘している現状や、IT企業における労働規制の問題が浮き彫りになっている。

最高裁判所による厳しい取り締まりや、労働法の不備による現実との乖離が中国の労働市場に影響を与えている。

日本は中国以上に「社会主義国」?…日本と中国に起こっている「逆転現象」

 中国は、「ふしぎな国」である。

 いまほど、中国が読みにくい時代はなく、かつ、今後ますます「ふしぎな国」になっていくであろう中国。

 そんな中、『ふしぎな中国』に紹介されている新語・流行語・隠語は、中国社会の本質を掴む貴重な「生情報」であり、中国を知る必読書だ。

 ※本記事は2022年10月に刊行された近藤大介『ふしぎな中国』から抜粋・編集したものです。

 私が東京で勤務している会社では、1980年代から毎年3人の中国人研修生を受け入れていた(現在は中断)。私はいまから30年ほど前、北京の同業の会社から派遣されて来たO氏に、毎週1回、ボランティアで日本語を教えていた。

 そのO氏、営業部で働いていたのだが、夕刻に伺うと、いつも自席にいない。何度目かに、私は直接トイレに行って、一番奥のカギがかかっている扉をノックした。

 「Oさん、起きて!」

 すると扉が開いて、寝ぼけ眼のO氏が出てくるのだった。

 「日本人は、なぜそんなに働くのが好きなのだ。昼休みも『休み』でなく、夕方の退社時間も『退社する時間』ではない。テレビをつけたら、『24時間戦えますか? 』なんてCMを流している。

私の故郷、北京では、昼休みは2時間あって、毎日ランチの後には、皆が職場で昼寝する。夕方の退社時間になると、5分後にはオフィスから人が消える。もちろん休日の出勤なんかあり得ない」

 O氏は二言目には、「日本人は仕事中毒」と批判したものだった。

 それから30年の時が流れ、最近は中国からわが社に訪問客が来ると、帰り際に決まり文句のように、こうつぶやく。

 「日本は中国以上に『社会主義国』だ。労働者の天国だ。日本のオフィスでは、なんとゆったり時間が流れていることだろう」

 普段、日中を行き来している私も、この頃は「逆転現象」を痛感する。もしもいま、私が北京や上海のIT企業などに勤めたら、それこそ30年前のO氏のように、トイレに逃げ込む日々に違いない。

 中国の大都市のオフィスを訪問するたびに、私は「雁過抜毛(イエングオバーマオ)」という中国語の成語を思い起こす。直訳すると、「飛んで行く雁からも羽を抜こうとする」。日本の近い諺は、「生き馬の目を抜く」。

 中国社会は、誤解を恐れずに言えば「結果がすべて」である。そこへ至る過程は、あまり問われない。

 極論すれば、オフィスで隣席に大変優秀な社員がいて、ある日その社員が風邪をひいて休んだ隙に、その業績をごっそり持ち去って、ライバル会社に転職してしまうことだってあり得る。そうした行為をライバル会社は高く評価し、高給を支払う。そのような実例を、私は北京駐在員時代に、いくつも見聞きしてきた。

 そのため中国のオフィスでは、仕事中は一瞬たりとも気が抜けない。私は北京で、部下が全員中国人という会社に身を置いていたが、毎夕の退社時間になると、ジャラジャラとやかましい音が聞こえ始める。社員たちが退社する前に、パソコンと机をつなぐ鉄輪や机の一つひとつの引き出しに、カギをかけるのだ。

 会社では日々、大小さまざまなトラブルの連続である。その日一件もトラブルがないと、「今日は稀に見る幸運な日だった」と、天に感謝したものだ。

 日系企業は、それでも一応の「品位」を保っていた。一般に中国では、国家公務員、国有企業、外資系企業、中国民営企業の順で人気がある。つまり、日系企業の下には多種多様な中国の民営企業が存在するのだ。

 中国で民営企業が勃興したのは、1990年代なので、どの会社も創業間もない。そのため、福利厚生などの社内環境が安定していない上、どの業界も激烈な競争に見舞われている。おまけに共産党の方針によってビジネス環境が激変したりする。

 李克強首相は一時期、「わが国では毎日、1万6000社も創業している」と外国の要人たちに吹聴していた。だがその大半は数年以内に消えてゆき、死屍累々である。周囲に山と「死骸」が横たわっているから、中国の民営企業は日々、生き残りに必死だ。

 そんな中国で、2016年10月、「九九六」という言葉が社会問題化した。北京に本社がある大手IT企業「城(チェン)」が、「九九六工作制」なる就業規則を定めていると、内部告発があったのだ。

 〈私たち従業員は、朝9時から夜9時まで、一日12時間働かねばならない。かつ月曜日から土曜日まで、週に6日勤務だ。それなのに、会社は残業代を支給してくれない……〉

 会社側は、「9月と10月は、たまたま繁忙期にあたっただけだ」と釈明した。だが他のIT企業でも、大同小異の状態であることが明るみに出た。

 それでも、中国を代表するIT企業アリババの創業者、馬雲会長(当時)は、そうしたブラック企業を擁護した。「微博(ウェイボー)」(中国版ツイッター)で、次のようにつぶやいたのだ。

 〈今日、中国のバイドゥ、アリババ、テンセントなどの会社では、たしかに「九九六」ということがあり得るだろう。思うに、これはその内部の人たちにとっては吉報だ。

この世界で、われわれは誰もが、成功やよりよい生活を望んでいるし、他人から尊重されたいと思っている。

では聞くが、あなたが他人よりも超越的な努力をせず、時間も使わなければ、どうやってあなたが望む成功を実現するのか? いまや、われわれはかくも多くの資源を有しており、巨大な使命を負っている。そして将来、天下に不可能なビジネスなどなくそうとしている。そのために努力し、時間を使うのはダメなのか? 〉

 馬雲会長らしい開き直りだった。私は2010年に、馬雲会長から直接、話を聞いたことがある。「1万人を超える社員をどうやって束ねているのか?」と質問したら、あっさりとこう答えた。

 「それは会社の就業規則を作らないことだ。いや、わが社にはたった1行だけ、就業規則がある。それは『(会社に)いるなら(私の言うことに)従え、いやなら辞めろ』だ。どの社員もわが社で働き続ける限り、すべて私の指示に従ってもらう」

 まことにワンマン会長なのである。なお、「天下に不可能なビジネスをなくす」(譲天下没有難做的生意)という言葉は、創業以来のアリババの社是だ。何でも杭州で創業した無名の頃、馬雲会長が西湖の畔で叫んでいたセリフなのだとか。

 だが、馬雲会長のようなワンマン経営者や取締役よりも、馬車馬のように働かされている社員たちの方が、当然ながら多数派だ。彼らが次々に声を上げ、「IT業界はブラック業界」と、世の中の非難は高まっていった。

 中には、「わが社は『九九六』どころか『〇〇七(リンリンチー)』だ」と暴露する人まで現れた。「〇〇七」とは、ジェームズ・ボンドのスパイ映画をもじった言葉だが、0時から0時まで24時間、週7日労働を表す。つまり「超ブラック企業」だ。

 中国の労働法第36条では、「国家は労働者の毎日の労働時間を8時間以内と定め、平均の毎週の労働時間が44時間を超えない制度を実行する」と謳っている。だが一般に、中国の問題は、法整備ができていないことではなくて、立派な法律が定められているにもかかわらず、現実がかけ離れていることなのだ。

 2021年8月、前述のように習近平政権は「共同富裕」(国民が共に富裕になっていく方針)をブチ上げ、富裕層の象徴である大手IT企業を標的にし始めた。同月には、最高人民法院(最高裁判所に相当)と人力資源社会保障部(厚生労働省に相当)が、悪質な「九九六」会社10社の社名を公表し、「今後は厳しく取り締まっていく」と宣言した。

 それでも収まらない内部の「九九六」状態と、政府の圧力に耐えかねて、中国のIT業界人材の国外流出が顕在化している。

 その中には、「近隣の社会主義国」に向かう中国人も少なくない。そう、日本のことだ。