19日に不信任案が議会へ「失職」か「議会解散」か どう出る兵庫・斎藤知事

AI要約

兵庫県では斎藤知事のパワハラ疑惑による不信任決議案が提出され、可決される見通しとなっています。

過去の知事不信任決議の例を挙げ、失職を選んだ知事もいれば、再選を果たした知事もいることが明らかになっています。

兵庫県知事の決断が注目されるなか、今後の展開が予測される中、知事は10日以内に失職するか、議会を解散するかの選択を迫られる状況となっています。

19日に不信任案が議会へ「失職」か「議会解散」か どう出る兵庫・斎藤知事

 斎藤元彦知事のパワハラ疑惑で揺れる兵庫県。19日には、県議会で不信任決議案が提出される見通しです。続投の意向を示している知事が、どう対応するのか注目されています。

 兵庫県を本拠地とするスポーツチームのユニホームや、ブロックでできた姫路城。鎧かぶとが飾られています。様々な展示物の中心には、斎藤知事の肖像もあります。

 先週、“おねだり疑惑”の贈答品がずらりと並んだ応接室が公開されました。

斎藤知事

「県内外から多くの外国の方も含め来客されるスペースですから。県外の方にもPRしていくために、知事応接室に設置。県庁の中にも設置しているので、そこは問題ない」

 連日、厳しい批判にさらされながらも、続投の姿勢を崩さない知事。しかし、19日には県議会で不信任決議案が提出され、その日のうちに可決される見通しとなっています。

 そうなると、知事は10日以内に失職するか、議会を解散するかの大きな決断を迫られます。

斎藤知事

「提出され可決されるということになれば、法律の趣旨に基づいて、私としてはどういう判断をするか決めていくということ」

 戦後、知事に対する不信任決議案が可決されたのは4回。1976年、岐阜県の平野三郎知事(当時)が初めてで、その後、長野や徳島、宮崎で同様の事態が起きました。

 当時、議会から決別を突き付けられた知事たちは、どのような選択を下したのでしょうか。

 2002年、可決が宣告された瞬間、ぼうぜんと遠くを見つめているのは、長野県の田中康夫元知事です。

 人気作家だった田中氏は、2000年に政界に足を踏み入れ、長野県知事になりました。歯に衣着せぬ発言で大きな注目を集めましたが…。

田中知事(当時 2001年)

「私は下諏訪の現行のダム計画によらなくても、治水と利水はできるという考え方でございます」

 ダム建設を否定する「脱ダム宣言」で議会と対立。就任から2年後、不信任を突き付けられました。議会の解散か失職か、判断を迫られた田中知事は失職を選びました。

田中知事(当時 2002年)

「あす午前0時をもって、長野県知事としての私が、失職することを選択いたしました」

 一度は、知事の座を追われた田中知事。しかしその後、出直し選挙に出馬すると、再び当選を果たし、2006年まで長野県知事を務めました。

 他の3つのケースでも、知事は失職を選択していて、過去一度も議会の解散はありませんでした。