「進次郎さんだけは別格だった」…元官房長官の息子が赤裸々告白「ボンボン二世議員の勘違い」が生まれるまで

AI要約

進次郎さんと初めてお会いしたのは’06年頃、CSIS研究員だった青年が、日本に帰国後大きく変わっていた。

世襲議員は現在自民党所属議員の3割を占め、有力な候補も多い。

河村建一氏はサラブレッドとして生まれながら、家族の政治活動に影響を受け育ったボンボン二世議員である。

「進次郎さんだけは別格だった」…元官房長官の息子が赤裸々告白「ボンボン二世議員の勘違い」が生まれるまで

総裁選後に行われるとされる衆院選にも、世襲議員は大量に立候補するだろう。彼らはどんな育てられ方をし、親の後を継ぐことに何を思うのか。二世議員の「人格形成」を知る、貴重インタビュー。

「進次郎さんと初めてお会いしたのは’06年頃、彼が米国戦略国際問題研究所(CSIS)の研究員だったときです。自民党議員とCSIS研究員が意見交換をする場に、父の秘書として私も同席させてもらったのですが、そのときの進次郎さんは、朴訥という言葉がぴったりな大人しい青年でした。

しかし、帰国後に再会したときには、まったく印象が変わっていました。歌舞伎役者のようなハキハキとしたしゃべり方と振る舞いが確立されていて、あの素朴な青年がどんな訓練を受けたらここまで変わるのかと、驚きました。よっぽどの自己革新を行ったのでしょう。世襲議員のなかでも、進次郎さんは若いときから別格でした」

同じ二世として小泉進次郎衆議院議員(43歳)にどんな印象を持っているか―この質問に河村建一氏(48歳)は、笑いながらそう語った。

’24年9月現在、自民党所属国会議員369名のうち、「世襲議員」は約3割にのぼる。麻生太郎副総裁は言うに及ばず、岸田文雄首相をはじめとした現閣僚20名のうち9名が世襲。9月12日告示の総裁選を見ても、有力候補の小泉進次郎や石破茂、河野太郎はみな二世・三世議員だ。

親から「地盤・看板・カバン」を受け継ぐ世襲議員への世間の風当たりは強く、「能力もないのに親の名前だけで議員になった」と批判されることも少なくない。だが一方で、彼らがどんな育ち方をし、どれだけ世間ズレしているのか、その実態はあまり知られていない。

祖父は自民党の重鎮・田中龍夫の「城代家老」と言われた元山口県議会議員の河村定一氏、父は麻生太郎内閣で官房長官を務めた河村建夫元衆議院議員(81歳)。自民党のサラブレッドとして生まれながら、紆余曲折を経て、現在は日本維新の会所属として初当選を目指す建一氏は、自らを「ぬくぬく育てられたボンボン」と語る珍しい二世だ。

「48年前、私が生まれた年に祖父が急逝し、サラリーマンだった父が山口県議会議員選挙に出馬、その後4期務めました。両親はほぼ毎日政治活動で家を空けていたので、小学生のときは学校から後援会事務所に“帰宅”、そこで宿題をしてごはんを食べ、実家に帰るという生活でしたね。後援会の方々が、お父さんお母さん代わりでした」

朝食は家族そろって食べる、というのが河村家のルール。建一氏には姉と2人の妹がいるが、朝食の後、建夫氏は必ず、家族全員と握手をしてから家を出ていった。

「小学校で授業を受けていると、父の選挙カーが学校の近くに来ることもある。そうすると、友達がみんな窓から手を振るわけです。そのとき、正直、私には優越感がありました。そうやって気づかぬうちに、『俺は特別なんだ』という意識を持つようになっていった」

後編記事『「永田町を自分の庭だと思っていた」「毎晩、銀座や六本木で」…!元官房長官の息子が悔恨告白「ボンボン二世議員」の「増長と勘違い」』へ続く。

「週刊現代」2024年9月14・21日合併号より