長崎の“被爆体験者”「私たちは被爆者ではないのか」 岸田総理「合理的に解決」発言も直後に退陣表明 “埋もれた被爆者”の救済は?今月9日 長崎地裁判決【news23】

AI要約

長崎には被爆体験者として認定されない人たちがおり、被爆者とは区別されている。彼らが被爆者としての認定を求めて17年。裁判の判決が9月9日に言い渡される。なぜ彼らは「被爆体験者」と呼ばれているのか。被爆体験者の問題について取り上げる。

広島では「黒い雨」により被爆した人たちが裁判の判決を通じて被爆者と認められた。しかし、長崎では同様の状況にある被爆体験者が被爆者として認められない。過去の判決を受け入れた国も新基準を設け、長崎の被爆体験者にも救済の手を差し伸べるべきである。

長崎と広島での被爆体験者の問題に対して、国の対応には矛盾が存在する。被爆者の権利を守り、適切な救済策を講じることが必要であり、被爆体験者に対する公正な判断が求められている。

長崎の“被爆体験者”「私たちは被爆者ではないのか」 岸田総理「合理的に解決」発言も直後に退陣表明 “埋もれた被爆者”の救済は?今月9日 長崎地裁判決【news23】

「被爆体験者」と呼ばれて被爆者とは区別されている人達が長崎にいます。被爆者としての認定を求めて17年。9月9日、裁判の判決が言い渡されます。なぜ被爆体験者と呼ばれているのか。「埋もれた被爆者」とも言われる被爆体験者の問題に迫ります。

■「私たちは『被爆者』ではないのか」 岸田総理「合理的に解決」も…

長崎に原爆が投下されてから79年の2024年8月9日。毎年この日に行われている、被爆者団体から総理大臣への要望の席に、被爆者とは認められていない人たちが初めて出席しました。

「被爆体験者」と国が名付けた人たちです。

被爆体験者 岩永千代子さん(88)

「総理にぜひ見ていただきたい絵を持ってまいりました。鈴木さん達が描いた絵です。空が暗くなり太陽は真っ赤。家族の中に甲状腺がんや白血病などが現れるようになったなどの多数の証言があります。これが現実です。総理に申し上げます。私たちは『被爆者』ではないのでしょうか?」

1945年、アメリカ軍が長崎市に投下した原子爆弾。強烈な熱線・爆風・放射線によって、その年だけで7万4000人が死亡しました。

国は原爆の影響を認める半径5キロを基本に当時の長崎市を被爆地域に指定。「被爆体験者」はその周辺、爆心地から12キロ圏内の被爆未指定地域にいた人たちのことで、原爆の影響はないとされています。

しかし広島では、被爆地域の外で「黒い雨」を浴びた人たちが裁判の判決を機に、2年前から被爆者と認められるようになったのです。

菅義偉総理(当時)2021年7月

「上告についてはしないことといたしました」

2021年に確定した広島高裁判決。「黒い雨」に含まれた放射性微粒子による内部被ばくの可能性を認めた画期的な判決でした。

判決を受け入れた国は、新たな基準を作り、遠くは爆心地から40キロまで「黒い雨」が降った地域にいた6000人以上を被爆者と認めました。

しかし救済したのは広島だけ。

面会の席で、長崎の被爆体験者は「同じような状況だった自分たちを被爆者と認めないのは憲法違反だ」と訴えました。