朝ドラのモデル三淵嘉子らが出した原爆裁判の判決文がすごい…「忘れられていた歴史的裁判」が描かれた意味

AI要約

60年前、裁判官の寅子が原爆裁判を担当する様が描かれた連続ドラマ小説「虎に翼」。モデルとなった三淵嘉子は実際に8年かけて原爆裁判を担当し続け、裁判官を退職後は核兵器禁止の署名活動を行っていた。

実際の原爆裁判は、広島や長崎の原爆被害者が日本政府に損害賠償を求める訴訟であり、国家賠償訴訟として昭和30年代に行われた。裁判記録は廃棄され、忘れ去られがちな重要な裁判だった。

三淵嘉子は第1回から結審まで一貫して原爆裁判を担当し、裁判の経過は手書きの訴状から始まり、9回の口頭弁論が行われた。

連続ドラマ小説「虎に翼」(NHK)では、60年前の史実に基づき、裁判官の寅子(伊藤沙莉)が「原爆裁判」を担当する様が描かれた。NHK解説委員の清永聡さんは「寅子のモデルである三淵嘉子さんは東京地方裁判所の判事時代、8年かかった原爆裁判を裁判官の中でただひとり最後まで担当し続けた。そのことについては生前語らなかったが、裁判官を退職後、核兵器禁止の署名活動をしていた」という――。

■三淵嘉子が実際に8年間担当した「原爆裁判」とは?

 「虎に翼」の第20週から第23週にかけては、「原爆裁判」が描かれました。

 寅子(伊藤沙莉)が所属する東京地方裁判所の民事24部が、広島・長崎の原爆被害者が提起した日本政府に損害賠償を求める訴訟を担当しましたが、寅子のモデル・三淵嘉子さんも実際に原爆裁判に関わっていました。

 「原爆裁判」とは、昭和30年代に被爆者によって原爆投下の違法性が初めて法廷で争われた国家賠償訴訟のこと。この裁判をご存知なかった方も多いのではないでしょうか。

 広島や長崎で被爆した人たちが日本政府の責任を追及した裁判です。非常に重要な裁判だったにもかかわらず、今の世の中で一般の人には半ば忘れ去られた裁判でもあります。

 取材にあたり、東京地裁に問い合わせてこの裁判記録の保管状況を調べてもらいましたが、資料は廃棄されているとのこと。本来は裁判所が「特別保存」すべきものですが、近年全国の裁判所で民事訴訟記録の大量廃棄が明らかになり、原爆裁判記録も判決文を除き、すべて捨てられていました。残念なことです。

 原爆をめぐっては「被爆者」の認定を求める集団訴訟が今も続いていますが、原爆裁判の意義は、「原爆投下は国際法に違反するか」を直球で問うものだったことです。私は『家庭裁判所物語』(日本評論社)を書く際、原爆裁判を闘ってきた松井康浩弁護士による記録を引き継いで保管している「日本反核法律家協会」会長・大久保賢一さんに、閲覧させてもらいました(現在はネットでも全て閲覧できます)。そして、裁判の経過を詳しく調べました。

■第1回から結審まで一貫して担当し続けた三淵嘉子

 その古い紙の綴りは手書きの訴状から始まっています。原告は広島と長崎の被爆者5人。昭和30年に訴えを起こし、東京地裁で4年に及ぶ準備手続きを経て、昭和35年2月から38年3月まで、9回の口頭弁論が開かれました。残された調書の表紙には右陪席の裁判官として全て「三淵嘉子」の名が記されています。

 3人の裁判官のうち、裁判長と左陪席は異動で交代していく中、三淵嘉子さんは第1回口頭弁論から結審まで一貫して原爆裁判を担当し続けたのです。