堺大空襲の語り部 次世代に 堺市、羽衣国際大と連携

AI要約

堺市は羽衣国際大学と連携し、先の大戦の空襲体験者の語り部を育成する取り組みを始める。

堺市では大戦末期に5回の空襲を経験し、特に7月10日の大空襲で1800人以上が犠牲になった。

今後3年間で学生を中心に20人の次世代語り部を育成し、空襲の歴史を伝える活動を展開する。

堺大空襲の語り部 次世代に 堺市、羽衣国際大と連携

先の大戦の堺大空襲の記憶を継承しようと、堺市は羽衣国際大学(同市西区)と連携し、次世代の語り部を育成する取り組みを始める。体験者が語り部として活動してきたが、高齢化で継続が難しくなっていた。

大戦末期の昭和20年、堺市は5回の空襲に見舞われた。中でも7月10日の大空襲では、市上空に飛来した100機余りの米爆撃機B29が焼夷弾(しょういだん)を投下。1800人以上の人命が失われた。

堺市では、空襲の体験者がボランティアの語り部「ピースメッセンジャー」として学校などで戦災の経験を伝えていた。だが、終戦後79年が経過して高齢化で語り部は減少し、現在の登録者は3人という。

次世代の語り部育成では、同大学の学生を対象に少人数の演習形式の授業を9月~来年2月に実施。これまでの語り部と交流し、学生が作成した説明資料などを監修してもらい、空襲の歴史の継承を図る。

学生は希望すれば、次世代の語り部として登録。市内の学校などに派遣され、空襲の歴史を伝える活動を担う。同市は今後3年間、20人を目標に育成を図る。