「五輪は『平和の祭典』と言われるが、一体何なの?」“人類学者のレンズ”から見えたもの

AI要約

文化人類学者で岡山大准教授の松村圭一郎さんと写真家の喜多村みかさんがコラボレーションした西日本新聞の連載「人類学者のレンズ」の書籍化を記念するトークイベントが福岡市・天神で行われた。松村さんと喜多村さんが、混迷する世界をどう見つめ、未来をどう描くかについて対談した。

松村さんはアフターコロナという現状について問題提起し、新しい危機の前に立たされていると指摘。喜多村さんは「よく分からないものを撮って、じっくり考えたい」と述べ、未知との関わり方について語った。

対話を通して、混沌した現代においても、不確定性の中で生きることの豊かさを見出すことができることが示唆された。不安な時代だからこそ、分からないものに向き合う姿勢が重要である。

「五輪は『平和の祭典』と言われるが、一体何なの?」“人類学者のレンズ”から見えたもの

 文化人類学者で岡山大准教授の松村圭一郎さんと写真家の喜多村みかさんがコラボレーションした西日本新聞の連載「人類学者のレンズ」の書籍化を記念するトークイベントが4日、福岡市・天神であった。混迷する世界をどう見つめ、分からない未来をどう描くか。連載を振り返りながら、松村さんと喜多村さんがそれぞれの「レンズ」から見てきたものについて対談した。

 冒頭、聞き手の九州産業大芸術学部教授、伊藤敬生さんが「コロナ禍とともにあった」連載を振り返った。新型コロナ禍が本格化した2020年4月に始まり、22年12月まで月1回掲載。この間、移動や人との接触を制限する新しい常識が定着した。一方、東京五輪が緊急事態宣言下に開催されるなど矛盾は多かった。ロシアのウクライナ侵攻といった想像を超えることもあった。「人類史の視点で、目の前で進む状況をどう考えるか。テレビで流れる気の利いた言葉とは違う言葉を手探りで考えた」と松村さんは振り返った。

 外出自粛でフィールドワークがままならず、松村さんは古今東西の研究者たちの目から「今」を読み解いた。人類学のフィールドは広く、関心がなかった分野の本も手に取ったという。「五輪は『平和の祭典』と言われるが、一体何なの?」。そんな問いからスポーツ人類学をひもとくと、近代スポーツや国際競技会が長く白人の優位を証明する場だったことや、ナショナリズム高揚に利用されてきた歴史があった。平和や絆という言葉はいびつな力関係を隠す飾りにもなる。連載では、東京五輪の開幕と閉幕に合わせて2回にわたり紹介した。

 記事に添えた喜多村さんの写真はどれも言葉で表しにくい抽象的な作品で、文章の余韻や解釈を広げた。「松村さんと同じ位置に立ちつつ、『おにぎり』という言葉に対しておにぎりを撮らないことで、読者の意識をその先へ向けたかった」と喜多村さん。今、情報過多で、SNSでは白か黒かと迫られる。分かりやすさを手っ取り早く求める傾向はコロナ禍で際立ったが、喜多村さんは「見えることの外に本質がある気がする。そういうものに引かれるし、記録したい」と話した。

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 「コロナ『後』ではなく、新しい危機の前なんじゃないか」

 松村さんはアフターコロナと言われる現状について問題提起した。格差が広がり、孤立している人がコロナ禍でさらに困難な状況になったのは、危機が「以前からある問題を見えるようにした」からであり、災害や戦争も同様だと指摘した。日常が戻った今、再び社会で見えなくさせられている人もいるはず。そんな幅広い視点も必要だとした。

 喜多村さんは「よく分からないものを撮って、そこからじっくり考えたい」と話す。松村さんは「知らないものに出合い、自分の想定が貧弱だと知ること」が文化人類学の醍醐味(だいごみ)だと言う。約2時間のトークで、写真と人類学という異分野の2人に相通じる、未知との関わり方が明らかになった。

 未来を描いて危機に備えようとしても、現実は不確定なことばかりだ。混沌(こんとん)に目を凝らして言葉と写真で記録した二つのレンズを双眼鏡のように眺めると、SNSのタイムラインをたどっても分からない、広い時間と空間が見えてくる。不安の多い今、「分からない」ものとの向き合い方次第で、人生をもっと豊かにできるのでは。対話はそんな示唆に富んでいた。 (川口史帆)

 ◇「人類学者のレンズ 『危機』の時代を読み解く」は西日本新聞社刊。1760円。