米国で国立公園指定に尽力していたのは静岡高出身の写真家 日米調査で判明

AI要約

静岡市出身の遠藤章二が、米国でジョージ・マサとして知られ、グレートスモーキー山脈の国立公園指定に尽力したことが明らかになった。

遠藤は写真家として活動し、山脈の美しさを伝える写真集を作成。その功績が米国で再評価され、書籍やドキュメンタリー映画が制作されることになった。

静岡高校時代から運動に打ち込み、米国で活躍した遠藤章二の物語が、地元の人々に広く知られることになる。

米国で国立公園指定に尽力していたのは静岡高出身の写真家 日米調査で判明

 明治末期に米国に移住して同国東部のグレートスモーキー山脈の国立公園指定に尽力し、現地で「ジョージ・マサ」の愛称で知られた男性が、静岡市出身の遠藤章二(1885~1933年)であることがこのほど、日米合同チームの調査によって明らかになった。米国で9月に書籍が出版予定で、ドキュメンタリー映画の撮影も進む。調査チームは今夏に市内を訪れ、「静岡の偉人を地元の人にも知ってほしい」とカメラを回した。

​ 遠藤は何らかの理由から米国で「飯塚正治」と名乗り、写真家として同山脈で撮影を重ねた。写真集に載ったジョージ・マサ名義の作品が当時の大統領らの目に留まり、同山脈の国立公園指定につながったと伝わる。測量や登山道の設定にも携わった。調査チームの元に関係者から本人直筆の手紙が届き、東京生まれ、静岡育ちの遠藤であると判明した。

 調査チームは今年7月中旬に来日して、マサのゆかりの地を訪問した。母校の静岡高では、マサが文武両道を目指す「両道倶楽部」に所属して野球に打ち込んだことから、野球部の練習を見学した。

 学生時代に同山脈の山麓に訪れたという織田敦校長(58)は英語でインタビューに対応。同山脈の深い森の印象を振り返り、同高野球部の伝統も語った。「静高で学んだ人が世界に出て、今の世に何を残したのかぜひ知りたい」と映画完成への期待を語った。

 校内を見て回ったポール・ボーンスティール監督(58)は「影響力のある写真で、山脈の美しさを地元住民に気付かせてくれた」と偉業をたたえる。書籍を執筆したジャネット・マックイーさん(74)も「地元出身でないのに山脈のために尽力し、大きな贈り物を残してくれた」と述べた。

 米国ではマサの功績が近年見直され、山麓の都市アシュビルではおととし、市民やノースカロライナ州当局がマサの名前を記した銘板を公園に立てた。

 英語の書籍「ア・ライフ・リイマジンド ジョージ・マサのストーリー」は9月10日発売。インターネットで日本でも購入可能。同名の映画は来年、米国の公共テレビで放送予定。

 遠藤章二 幼少期に静岡市の弁護士遠藤靖の養子となり、1903(明治36)年に静岡中(現静岡高)を卒業した。渡米後は西海岸で、野球チーム「ミカド」に所属し、日系人野球の黎明(れいめい)期に活躍。東海岸移住後は、写真家として精力的に活動。死去時には現地アシュビル市で市葬が営まれた。