自民党総裁選に菅義偉が立候補した理由、安倍総理の辞任で広がった「官房長官の出馬待望論」

AI要約

2020年夏、長年続いた安倍政権の幕が閉じた。安倍総理の突然の辞任により、菅義偉が総裁選挙に出馬する決断を下す。緊急時期を乗り越えるために出馬し、故郷からの熱い支援を受ける。

国難の新型コロナ危機、縦割り打破、雇用確保、活力ある地方創り、少子化対応、国益を守る外交が政策柱。安倍政権の政策を継承し、前進する意思を表明。

菅義偉は重圧の中、自らの使命として安倍総理を支えてきた。国民の声に応える一環として総裁選への参加を決意し、克明な政策を公表する。

自民党総裁選に菅義偉が立候補した理由、安倍総理の辞任で広がった「官房長官の出馬待望論」

 2020年夏、長年続いた安倍政権の幕が閉じた。当時、私は自民党総裁選挙への出馬を全く考えていなかったが、事態が一変したこともあり、熟慮の末、立候補を決断した。今回は、20年に私が総裁選出馬に至った経緯を振り返ってみたい。(第99代内閣総理大臣/衆議院議員 菅 義偉) *菅義偉前首相が過去の決断の裏側を明かす連載『菅義偉「官邸の決断」』の本稿を、特別に期間限定で無料公開いたします。

● 安倍総理の辞任で 事態が急変

 それは突然の辞任発表だった。2020年8月28日、7年8カ月続いた安倍政権は、安倍晋三総理ご自身の辞任会見によって幕を閉じることとなった。新型コロナウイルスの感染拡大で厳しい判断を迫られる日々が続く中、持病だった潰瘍性大腸炎が再び悪化したが故の決断であった。

 〈病気と治療を抱え、体力が万全でないという苦痛の中、大切な政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはなりません。国民の皆さまの負託に自信を持って応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではないと判断いたしました〉

 絞り出すように述べた安倍総理の無念はいかばかりであったか。総理として決断を下し、仕事を全うしなければという重圧も、今の私には当時以上によく理解できる。

 そもそも、この突然の辞任がなくとも、翌21年9月には自民党総裁選挙が控えていたため、かねて「ポスト安倍」が取り沙汰されていた。

 私の名前がその一人として挙がることもあったが、そのたびに「総裁選への出馬は全く考えていない」と答えてきた。これは偽らざる本心であった。官房長官として安倍総理を支えることが自らの仕事であり、使命だと考えていたからである。ましてやコロナ禍の真っただ中の時期だ。「その先」のことなど、全く考える余裕もなかった。

 しかし、安倍総理の辞任発表で事態は一変した。国民は政策の継続性、とりわけコロナ対応を引き続き最重要課題に据えて取り組む政府を求めている。「現下の課題への対応継続のためにも、菅官房長官が総裁選に立つべきではないか」――党内だけでなく、国民からもそうした声が聞こえてくるようになったのである。

 それでも、9月2日に総裁選への立候補を正式に表明するまでにはかなりの熟慮を重ねた。結局、出馬を決意したのは、「コロナ禍を乗り切らねばならないこの重要な時期に、『政治の空白』をつくってはならない」という一心からであった。

 「持てる力の全てを尽くし、安倍総理が全身全霊を傾けてきた取り組みを、さらに前に進めたい」

 出馬を表明すると、あらゆる方面から応援と支持の声が届いた。特に故郷・秋田からの声援は熱烈なものだった。故郷は私の政治の原点である。総務大臣、官房長官として取り組んできた「活力ある地方創り」にも、さらに熱意を持って取り組む覚悟だったため、こうした地方からの声は大いに励みになった。

 総裁選に向けて公表した政策の柱は、(1)国難の新型コロナ危機を克服、(2)縦割り打破なくして日本再生なし、(3)雇用を確保、暮らしを守る、(4)活力ある地方を創る、(5)少子化に対処し安心の社会保障を、そして、(6)国益を守る外交・危機管理――の6項目。いずれも安倍政権においても重要な政策の柱であり、私自身が官房長官として鋭意取り組んできたものでもあった。