ノルマンディー上陸作戦記念イベントで見た”驚きの光景”…痛感した「戦勝国」と「敗戦国」の「圧倒的な違い」

AI要約

沖縄戦から79周年目の戦没者慰霊祭が開催された。過去の出席者や変遷、地元行事との関係についても触れられている。

沖縄の慰霊祭と全国戦没者追悼式の違い、慰霊祭の変化について述べられている。

沖縄の戦没者慰霊に関わる日程やイベント、メディアの報道内容について具体的な事例が挙げられている。

ノルマンディー上陸作戦記念イベントで見た”驚きの光景”…痛感した「戦勝国」と「敗戦国」の「圧倒的な違い」

先々月23日、毎年恒例でもある、沖縄戦から79周年目の戦没者慰霊祭が開催された。不肖・宮嶋とて当然取材したことはあるが、実はわずか2回。1度目は平成28年、当時の地元沖縄県の主催者は故・翁長雄志(たけし)知事、出席した日本政府代表は故・安倍晋三首相。2度目は3年前、知事は翁長知事の正統な後継者を自任する玉城デニー現知事、コロナ禍のため中央からの出席者は首相も含めなし、であった。

沖縄の戦没者慰霊祭は毎年8月15日、日本武道館で天皇皇后両陛下もご臨席される厳粛な雰囲気のなか静かに進行する全国戦没者追悼式と違い、ここ数年は歴代の首相に対し地元活動家らが罵声やヤジを浴びせる場と化した。そんな沖縄の慰霊祭に代わって不肖・宮嶋が10年間毎年通い続けたのが、沖縄の成人式であった。こっちは週刊誌上で10年間、一度もボツにならず誌面化された人気企画であった。

さて、6月23日は沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終了した日とされているため、沖縄では毎年この日に追悼式典が開催される。それは日本政府が連合国によるポツダム宣言を受け入れ無条件降伏した8月15日より、地元では重要ともされている。そんな6月23日の前日の22日。沖縄戦没者慰霊祭が開催される平和祈念公園が麓の摩文仁の丘頂上の勇魂の碑前では沖縄守備隊の主力となった第32軍将兵を含めた戦没者のための追悼式が沖縄護国神社主催でしめやかに開催されているが、それは沖縄の地元2紙含め、メディアでは一切報じられない。

不肖・宮嶋が取材した2021年当時には、同じく摩文仁の丘頂上の第32軍を指揮した牛島満陸軍大将が自決したとされる司令部壕上に建てられた黎明の塔に、地元陸上自衛隊第15旅団長佐藤貢陸将補はじめ現役自衛官らが慰霊のため訪れていた。そちらでは、早朝にもかかわらず、地元2紙はじめほとんど全メディアが待ち構え、「花束は公費か、ポケットマネーか?」やの「地元がハンタイするのになぜ訪れたのか?」などという質問を浴びせていた。戦争に敗けるとはこういう事なのである。国土や国民を守る為戦っても、敗ければ 倒れた将兵まで貶められ不当に扱われる。同じ国民からさえも。