アメリカでは「終戦=9月2日」のワケ ハワイの“巨大戦艦”が物語る、アメリカにとっての「開戦」と「終戦」

AI要約

日本の終戦の日である8月15日についての歴史とアメリカの対日戦勝記念日である9月2日についての説明

日本の降伏を受け入れた連合国軍の代表者が調印した1945年9月2日の降伏文書調印式典に焦点を当てて説明

アメリカ海軍の星条旗は1853年の開国時に掲げられたものであり、開国を意識して9月2日の降伏文書調印式典で使われたことに言及

アメリカでは「終戦=9月2日」のワケ ハワイの“巨大戦艦”が物語る、アメリカにとっての「開戦」と「終戦」

 日本で「終戦の日」というと8月15日のことを指します。連合国への降伏が天皇から国民に伝えられた1945(昭和20)年8月15日は、一般的に第2次世界大戦の終結した日とも認識されています。

 この時、日本国内では前日の8月14日に決定されたポツダム宣言(対日降伏勧告)の受諾を受けて、正午より全国民に向けラジオで玉音放送が行われ、日本軍に対する武装解除や降伏命令が発せられました

 実際、日本政府はこの日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と位置づけ、毎年東京都千代田区にある日本武道館にて「全国戦没者追悼式」を開催しています。また、法律においても、例えば戦後の海外からの引揚者やその家族などに対する特別交付金を支給するための法律である「引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律」では、その第2条1号にて8月15日を「終戦日」と明記しています。

 ところが、世界に目を向けてみると、じつは8月15日を終戦の日と位置づけていない国も多々あります。その代表的な例というのが、日本の同盟国であり、かつて戦火を交えたアメリカです。

 アメリカでは、第2次世界大戦が終結した日を9月2日としています。これは、1945(昭和20)年9月2日に、東京湾で停泊していたアメリカ海軍の戦艦「ミズーリ」艦上にて、日本政府および陸・海軍代表団による降伏文書調印式典が行われたことに由来しています。

 この日、連合国軍最高司令官であるアメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー元帥をはじめすべての連合国軍高官が「ミズーリ」に乗艦。まず、日本の重光 葵外務大臣および梅津美治郎参謀総長が調印した後、アメリカ・中華民国・イギリス・ソビエト連邦・オーストラリア・カナダ・フランス・オランダ・ニュージーランドの代表者がそれぞれ調印し、日本の降伏を受け入れたのです。

 このことから、アメリカでは9月2日を「対日戦勝記念日(V-J Day)」としています。

 そして、その降伏文書調印式が行われた「ミズーリ」は、現在ハワイ州のオアフ島にある真珠湾、そこに浮かぶフォード島で記念艦として一般公開されています。その甲板には、降伏文書調印式典が行われたまさにその場所に、床へ埋め込まれる形で記念碑が置かれています。

「1945年9月2日、まさにこの場所において連合国に対する日本の正式な降伏文書の調印式典が行われた。これにより、第2次世界大戦は終結した」と記された記念碑の近くには、当時調印された降伏文書のレプリカや当日の参加者の立ち位置などを示す写真が飾られています。

 また、額に入れられたアメリカの国旗である星条旗も飾られていますが、よく見ると州の数を示す白い星が31個しかありません。というのも、これは1945年よりもはるかに古い時代の星条旗だからです。

 この旗は、1853(嘉永6)年にアメリカ海軍のマシュー・ペリー提督が、当時の江戸幕府に対して開国を迫るべく、浦賀沖に来航した軍艦に掲げられていたものです。マッカーサー元帥は9月2日の降伏文書調印式典に際して、「ミズーリ」艦上へあえて、この星条旗を飾りました。これにより、日本に対する「2度目の開国」を意識していたと考えられています。