キリンビールのヒットメーカー3人が脱サラして起業「600万人が飲む酒より顔が見える客へ」

AI要約

キリンビール出身の3人が五島列島にクラフトジンの蒸留所を作り、50歳で起業した経緯を紹介。

門田さんのキャリア研修での決意や、小元さんとの起業話、蒸溜所設立までの経緯を明かす。

クラフトジンを作る理由や、未知の市場に挑む情熱を語る。

キリンビールのヒットメーカー3人が脱サラして起業「600万人が飲む酒より顔が見える客へ」

 2022年、キリンビール出身の3人が長崎・五島列島の小さな村にクラフトジンの蒸留所を作った。50歳を機に、その後の人生を考えて起業を決意した門田クニヒコさんと、門田さんに誘われて一緒に夢を追いかけることを決めた小元俊祐さんと鬼頭英明さん。退職から蒸留所設立までの経緯や、移住後の仕事や暮らしぶりについて聞いた。(取材・文/フリーライター 手柴史子)

● 仕事は充実していたが… 50歳時のキャリア研修で決意

 長崎港から西へ約100km、五島列島の南西の端に位置する福江島北部の小さな集落・半泊(はんとまり)に、五島つばき蒸溜所は建っている。

 キリンビールを退職した門田クニヒコさん、小元俊祐さん、鬼頭英明さん、の3人が長崎県の五島列島に移り住み、五島つばき蒸溜所を開業したのは2022年のこと。蒸溜所は2年目を迎え、商品であるクラフトジン「GOTOGIN(ゴトジン)」の生産量は月3000本を超えた。

 3人はどのような経緯で五島列島に移住し、クラフトジンを作るようになったのか。それぞれがキリンビールを退職した当時を振り返る。

 キリンビールで長く商品開発に携わっていた門田さんは、「キリン 極生」や「氷結(R) ストロング」「一番搾り フローズン(生)」などの製品を世に送り出してきた。仕事にはやりがいがあり、毎日の生活は充実していた。

 「よく退職の理由を聞かれるのですが、本当に不満はなかったんですよ。給料も食品会社の中では高い方だと思いますし、仕事も楽しんでいました」

 だが、50歳時に社員が受けるキャリア研修をきっかけに、起業を決意する。

● 定年退職前の最終出社日に 話を持ちかけられる

 「その研修は、50歳になった時点で、今後のライフプランを考えようというものでした。社会人1年目から50歳までの“人生年表”を書くんですが、それを見て、57歳の役職定年までもうあと7年しかないと改めて思いました。先輩方を見ていると、その後会社に残る人、他の食品会社に行く人などさまざまですが、現場の仕事より、人材育成やマネジメントを求められることが多いんです」(門田さん)

 しかし「現場の仕事が大好きで、元気とやる気があるうちはずっと商品開発に携わりたい」という思いが強かった門田さん。「だったら自分で会社を作ろう」と思った。

 24歳でキリンビールに入社して以来ヒット商品を生み出してきたが、「会社の看板があればこそ」と思うことが多かったという。会社で教わってきたことを生かして、いつか自分の足で、自分の看板でお客さんに商品を届けたいという思いは常々持っていた。

 銀行に勤める友人に起業のことを話したとき、「お金を借りるんだったら早い方がいい、57歳や60歳過ぎてよりも、50歳の方が借りやすい」と言われたことも後押しになった。

 当時は主査としてメンバーを4人抱えていたが、直属の上司が仲のいい同期で、相談すると一切慰留なく、応援すると言ってくれた。仕事を減らしてもらい、準備の時間を確保することもできた。

 大学生だった息子は一人暮らしをしていて、「どうせ親父は好きなことをやるんだろう」という感じだった。妻は息子が中学校1年生のときに亡くなっている。東京を離れるという選択肢も視野に入れて、起業に向けて準備を始めた。

 「起業して世界で戦える酒を作る」そう決意が固まったとき、まず思い浮かんだ「同志」が小元さんだ。キリンビールで30年以上に渡り、ウイスキー、スピリッツ、ワインなどの商品開発や広告宣伝など、幅広くマーケティング業務に携わった経験を持つ。当時は、門田さんとは同じ部署に所属していた。

 「海外展開を見据えて、ワインや洋酒関連で輸出を担当していた経験や知見を生かしてもらえないかと思って。ただそれ以上に、人柄や人間性に敬意を感じていました」

 氷結を開発していた時代に小元さんと一緒に働いて「こんなに人間ができた人は初めてだ」と思った。仕事で緊急事態が発生しても常に笑顔で、関係各部署と丁寧にやり取りをする。「キリンでも群を抜いた人格者だったと思います」

 すでに定年退職が決まっていた小元さんに、門田さんが起業の話を持ちかけたのは最終出社日の前日だった。「退職後はしばらく何もしないでゆっくりしよう」と考えていた小元さんだが、門田さんの話に引かれ、退職後すぐに門田さんと起業の構想を練り始める。

 門田さんはその2年後に退職。アイデアを出し合いながら、2人がたどり着いたのがクラフトジンの蒸留所だ。「自由度が高く、表現力のあるお酒だから」というのが理由だ。

 「当時、“クラフトジン”という酒のカテゴリーが世界市場で認知されてからまだ10年程度で、酒の品質もアップグレードされている最中でした。だからこそ、私たちにしか作れないものができると思ったんです」(小元さん)