お年寄りも子どももよりどころ必要 特養老人ホームとつながった「サードプレイス」 住宅地のくぼ地の古民家「ちゃちゃルーム」

AI要約

福岡市城南区にある古民家を利用した地域交流の場「ちゃちゃルーム」について。地域の人々が集まり、食事をしながら交流を深めるイベントなどが定期的に行われている。子どもから高齢者まで、誰もが居心地の良い場所として利用しており、地域のつながりを育んでいる。

お年寄りも子どももよりどころ必要 特養老人ホームとつながった「サードプレイス」 住宅地のくぼ地の古民家「ちゃちゃルーム」

 住宅街のくぼ地に、木々に包まれた古民家がある。日常の喧噪(けんそう)から離れられる少し不思議な空間。ここに月6回ほど地域の子どもや保護者、住民や学生が集まり、一緒に遊んだり、雑談を交わしたりして過ごしている。飼われていた猫の名にちなみ、「ちゃちゃルーム」と呼ばれるこの場所は福岡市城南区にある。

 5月下旬、古民家の横のウッドデッキに鉄板が設置された。大人や子どもが焼きそばや焼き鳥を調理し、参加した20人ほどがほおばりながら会話を弾ませた。

 「ソースの味がよく利いている」「この間、まんじゅうを5個も食べたよ」

 ウッドデッキは、特別養護老人ホーム「よりあいの森」とつながっており、古民家は老人ホームの一部でもある。できあがった料理は、子どもや学生が入所するお年寄りにも届けた。

 この日のようなイベントは、普段顔を合わせる中で利用者の誰かが「やりたい」と言い出して実行される。これまでにそうめん流しや茶道体験、日本ミツバチの巣作りも行われた。

 ちゃちゃルームが動き出したのは2019年。地域の子どもを支えたいと、有志が集ったことがきっかけだった。

 地元の宮野みはるさん(74)は当時、民生委員をしていた。さまざまな状況にある高齢者の支援を通じ、よりあいの森の職員たちと信頼関係ができていた。

 そのうち、学校や家庭での生活が気になる子どもが現れた。「家にいられないとき、ぷらっと来ればいい」。その場所として、よりあいの森が提供し始めたのが古民家だった。カフェを月に数回開いたり、近隣の高齢者が集まるサロンで使ったりする以外は空いていた。20人ほどが余裕を持って座れる部屋の他に和室もあり、子どもが過ごせる広さは十分にある。

 「社会からの孤立という課題は、お年寄りも子どもも同じでよりどころが必要と考えた」と職員の桜井学さん(47)。「困っている子のために何かしたい」という思いで一致した住民、城南区社会福祉協議会、スクールソーシャルワーカー(SSW)などが協力し、ちゃちゃルームを始めることになった。

 桜井さんは「介護分野も同じだが、自分が抱えている問題がすぐに解決するわけではない。でも、理解してくれる人がいれば救われる」と、悩みを打ち明けられる場の大切さを語る。

 スタートすると子どもたちや保護者も集まり、学校や家庭での出来事を話題にするようになった。その中で出たのが、教員になる前にいろいろな子に出会ってほしいという願いだった。桜井さんは、教員養成課程がある近くの中村学園大の関係者に声をかけた。

 誘われて出入りするようになったのが、特任講師の益田仁さん(41)。担当したゼミの学生も一緒に連れて行った。ウッドデッキで「だるまさんが転んだ」を、庭では鬼ごっこをして遊んだ。益田さんはゴリラのまねをして子どもを喜ばせ、疲れたら和室で横になった。大学教員ではない「自分が本来持っている一面」を出せるのが楽しかった。

 学校では「落ち着きがない」などと言われる子も、ここでは目立たない。よりあいの森が、認知症を患う高齢者も「人間らしい生活」を追求できる施設だからこそ、益田さんは「さまざまな子にとって居心地のいい場所となる土壌があった」と考えている。

 活動開始から5年を迎え、今は8人ほどの子が定期的な活動日に訪れる。子ども一人で来ることもできる。親世代だけでなく、祖父母世代も含めた複数の大人がそれを見守る。さらに、ホームにいる曽祖父母世代や職員も姿を見せる。

 それは「子どものため」だけではない。何げない日常を分かち合える場所があることは、大人にとっても大切だ。そして、誰しもが老いていく。孤立した高齢者を何人も支援してきた宮野さんは、冗談めかして口にする。「この近くで倒れたら、誰かがすぐに気付いて助けてくれる」。その時、手を差し伸べてくれるのは、ちゃちゃルームを居場所として過ごした経験のある若者かもしれない。 (編集委員・四宮淳平)

【広がる「サードプレイス」】

家でも学校でも職場でもない、その人にとってとびきり居心地のいい「第三の居場所」は「サードプレイス」と呼ばれ、近年注目されている。ワークライフバランスの重視や価値観の多様化が進むにつれ、仕事ではなく趣味などで自由に交流できる場が求められていることなどが背景にある。郊外の住宅地の拡大や車への依存が進む米国で、帰属意識がほとんど育まれないことによるコミュニティーの衰退を危惧した社会学者レイ・オルデンバーグ氏が、1980年代に提唱した。